B&G宇部海洋クラブ

福島明人さんがサンフランシスコに到着。私はCYNTHIA8を上架しました。

Updata 2011年 11月20日

7月1日横浜を31フィートのヨットで単独太平洋横断に出航した福島明人さんが、
無事、目的地のサンフランシスコに到着しました。
途中、衛星電話の不調などで、急遽、ハワイに入港するなどのトラブルはありましたが、
夢が叶って、本当に良かったです。

相談を受けていただけに、ずっと気になっていました。
彼からの電話では、12月末まで、アメリカに滞在し、ヨットは売却して帰国するとのことです。
帰国後は農業をしたいそうです。
(今の私なら、きっとサンフランシスコでヨットを整備して、ハワイ経由で、できれば南太平洋をめぐって帰るでしょうね。
そんな生活に憧れています。私の夢ですから・・・。)

写真左は福島明人さんのヨット
写真右は私の「CYNTHIA-8」(宇部市妻崎漁港に係留しています) 

私のヨットを3年ぶりに上架(陸に揚げること)しました。
3年前、整備して海に降ろしましたが、忙しくて結局、3年間でたったの2回しかヨットに乗ることができませんでした。
せっかく一生懸命整備したのに、もったいないですね。
いつの間にか、船底はカキの養殖場のようになってしまいました。

議員活動も年々忙しくなり、そろそろヨットを持つこと自体が、
限界に来ていますが、意地でも手放せませんね。

今回は、息子が「友達と乗りたい」と言い出したこと、
また私の「不登校や高校中退の生徒が多い精華学園高等学校の子どもたちをヨットに乗せてあげたい」
という思いもあり、思い切って整備することに決めました。
ヨットは37フィート12人乗りで、大型の25トンレッカーを使っての作業ですが、吊り上げ用のベルトが舵板に引っかかり、
所定の位置にスリングを固定できないので、結局、私が潜って処理しました。
11月の海水は冷たいですね。
まだまだ、若いです。
いざとなれば、気合が入ります。
借り物の船台もピッタリで、意外と短時間で作業を完了しました。
今回は、マストも外してました。再塗装します。

妻崎漁港に係留しています。漁港の準組合員です。

船底はカキが一杯ついています。高圧水で洗浄するときれいに落ちます。
写真右:少し離れてみると、かっこいいヨットですが、船齢35年の老朽船です。

息子の手伝いしだいですが、来春を目安に、ゆっくり整備します。

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笑顔が素敵な山本恵利加さんが宇部フロンティア大学短期大学部のパンフに!

Updata 2011年 6月22日

私が会長を務めさせて頂いている「宇部フロンティア大学短期大学部教育振興会」理事会が、
大学内で開催されました。
用意された来年度の学生募集用パンフレットを見ると、私の大好きな山本恵利加ちゃんの写真が
大きく掲載されていました。
初めの会長挨拶で、つい、恵利加ちゃんの話をしてしまいました。
私が香川中学校高等学校「父母の会」の会長を務めていた頃、彼女は高等学校女子部の
生徒会長をしていました。保育科の生徒で、出会うたびに「こんにちは!」と大きな声で、
しかも、頭の上で手を大きく振りながら挨拶をしてくれました。

卒業後、短期大学部の保育科に進学しました。
その年の夏休みに、お母さんの紹介もあって、私が主催した「ヨットクルージング」に、
初めてスタッフとして参加しました。そのときのクルージングの行き先は、
なんと、韓国の釜山(プサン)でした。

日本で初めての「ヨットによる青少年向けの海外への研修航海」
ヨット2隻に、子どもたち18名とスタッフ6名が乗船しました。
往復10泊11日、しかも往復、台風の中を走る航海でした。
楽しく、でも厳しい航海でしたが、すごく頑張って、子どもたちのお世話を一生懸命してくれました。
彼女は今、25歳、幼稚園の先生をしていますが、天職だと思います。
今も、会うたびに、いつも優しい笑顔を見せてくれます。学生募集用パンフレットです。

日本で初めての「ヨットによる青少年向けの海外への研修航海」
左:韓国のプサン国際ヨットハーバー(オリンピックの会場になりました)
中:対馬の海峡を航海する「シンシア8世」(私のヨットです)
右:舵を握って操船する山本恵利加

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7月1日(予定)福島明人(28歳)さんが「単独太平洋横断」に出港します。

Updata 2011年 6月17日

神奈川県横浜市の福島明人さん(28歳)が、友人の紹介で、私を訪ねてきました。
目的は単独太平洋横断についてのアドバイスです。

私が手作りのヨットで横断したのは、34年前、昭和52年、23歳のときでした。
当時はまだ、ヨットによる単独太平洋横断が「冒険」といわれた時代で、
私の航海も自設計自作による初めての挑戦として、第1面に取り上げられましたが、
今では、ほとんど記事としては取り上げられなくなりました。
太平洋横断は「冒険から、誰でもできる航海」という見方に変わったのだろうと思います。

ヨットもベニヤ板(9ミリ厚)製で、まだFRP製のヨットは少数派でした。
今では、木製のヨットはほとんどなくなり、時の流れを感じます。
航海術もセキスタント(六分儀)を使い、太陽と水平線の角度を正確に測り、時計をチェックして位置を計算しました。
正確な時計は必需品で、発売されて間もなかったセイコウの腕時計「クウォーツ」を2万7千円で購入しました。
当時の大卒の初任給が6万円くらいでしたから、本当に高価でした。
今なら1000円で購入できます。

さて、福島さんは、明るい性格で人柄もよく、真面目な青年でした。
7月1日、横浜ベイサイドマリーナを出港して約60日から70日で、サンフランシスコを目指すとのことです。
話を伺うと、経験も準備も十分過ぎるほどできており、ヨットもよく整備された「バンドフェット30(9m)」でFRP製のヨットです。
私のときより、準備をされているなあと感じました。
「荷物の忘れ物」さえがなければ、失敗することはないと思いました。

私のアドバイスは2つ。
1.航海中に、将来の生き方(生き様)を考え決めること。
(将来、ヨットで生計を立てようと思わないこと)
2.人間関係での悩みを持ったまま、出港しないこと。
(孤独感は不安定な人間関係があって、初めて生じる)

時間が取れれば、ぜひ、お見送りに行きたいと思います。

「私もまた、挑戦してみたい」(本音です)

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5日間のヨット・クルーズに参加した卒塾生が、結婚の報告に来てくれました。

Updata 2011年 2月16日

「おかむら塾」の卒塾生である寺戸太郎君が、嫁さんと結婚の報告に来てくれました。

彼の学年は、私が体験教育に最も力を入れていた頃で、
「両親からの手紙による研修」を最初に行った学年でもあります。
当時のアルバムをめくってみると、中学3年生のときのヨット・クルージングの写真が出てきました。

青少年向けにヨットによるクルージングを、5隻のヨットを連ねて、しかも5日間も実施した事例は、
全国で初めてでした。
私は受験生である中学3年生全員を、強引に連れて行きました。

航路は、宇部港を出港して関門海峡を抜け、角島、見島を経由して、青海島へ行き、
そこで、初めての「手紙による研修」を行いました。

保護者に無理を言って行った5日間の研修でしたが、今では楽しく懐かしい思い出です。
当時、マスコミにも注目された事業で、地元紙は2ページの特集記事を掲載して下さいました。

以下の写真は当時平成3年8月の、どれも懐かしいアルバムです。

上左の写真:当時所有していたシンシア7世(9mのレース艇で10名乗り)です。
上右の写真:西村倫子(旧姓:飯田)さん、先日、4人目の赤ちゃんが誕生しました。
下左の写真:野球帽の男の子が、寺戸君(当時中学3年生)です。
下右の写真:ヨットが5隻も並ぶと、壮観ですね。

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「シンシア3」です。(室内は昭和52年(33年前)にタイムスリップ)

Updata 2011年 1月25日

平成23年4月の統一地方選挙が近づいてきました。
先日、行われた後援会の役員会で、事務所の玄関横の部屋を選挙事務所に使うことが決まりました。
そのため、部屋に保管してあった「シンシア3」(太平洋横断に使用したヨット)と、事務所の前の駐車場に保管していた災害用早期設置型シェルターを近くの駐車場に移動しました。

4トンユニックを使っての作業。結構、大変でした。
広い駐車場に置いてみると、シンシア3世は小さいですね。
昭和52年、147日間をかけて単独太平洋横断に使用したヨットです。
当時、23歳の私には軍艦のように、「絶対に沈むはずは無い」と確信して出航しましたが、
今の歳になって冷静に考えてみると、
「よくこんな小さなヨットでアメリカまで行ったものだ」と思います。
きっと、怖さ知らず、世間知らずだったからでしょうね。「若い」ということは、そういうことだと思います。

室内は当時のまま、保管してあり、時計は転覆した時間で止まっています。
自分への戒めにつもりで書いた『6月21日15:09を忘れるな!」。転覆時刻です。
(今、ヨットはシートを被せて保管しています。選挙が終われば、また、事務所に戻します。)

隣に置いてある災害用早期設置型シェルターは大災害が起これば、すぐに搬送できるようにスタンバイした状態で保管しています。

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