太平洋横断

3 05, 2013

「シンシア3世号」を精華学園高等学校に展示

2017-12-20T11:22:59+09:005月 3rd, 2013|SEIJI Blog, 精華学園|

1977年(昭和52)年、単独太平洋横断に使用した手作りヨット『シンシア3世号』(全長6.15m)を再塗装し、精華学園高等学校の新校舎のロビーに展示しています。早いもので36年が過ぎました。当時、私は23、若かったですね。 航海日数 147日 八丈島東方海上にて(朝日新聞社撮影) 座っているところが、ベッドです。 電灯はなく、灯油のランプを使いました。日付変更線通過の記念写真 シンシア号は太平洋横断したあと、貨物船に乗せて日本に輸送しました。 [...]

26 11, 2012

友人の栗城史多君がエベレスト登頂を断念11.26

2016-01-23T11:23:17+09:0011月 26th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

友人の栗城史多君が8月26日、日本を出発し、10月上旬を目標に秋季エベレスト西稜・無酸素単独登頂に挑戦していました。しかし、10月18 日、7500m付近で暴風のため断念し10月20日下山し、10月21日、重度の凍傷を負っていることから、カトマンズの病院に収容されました。彼にとっては4度目の挑戦だが、エベレストは今回も受け入れませんでした。しかも、両手両足の指、そして鼻に受けた凍傷がひどく、左手の親指と数本の指は切断しなければならない状況らしい。厳しい冒険を自ら求めた結果だけに、過酷な結果も受け入れるしかないが、彼は無事に生きて帰ってきた。それだけで、素晴らしい。 カトマンズに入院中の栗城君(ブログより) さて、インターネット上では、栗城君に対する誹謗中傷が多く見受けられます。パソコンの画面だけを見て批判する前に、現場にいる当人の厳しい現実をしっかり考えてほしいものです。冒険の厳しさは、現実に死と隣り合わせに生きていることを実感した人でなければ、理解できないのかもしれません。「冒険は、まず生きて帰る事。それを成し遂げただけで賞賛に値する」私は彼を応援し続けたいと思っています。「青春とは自己の可能性に挑戦してみようとする冒険心。夢を実現するために大切なことは、第一歩を踏み出す小さな勇気。」私が25歳のとき、「NHK青年の主張」で述べた言葉です。青春を生きる彼の勇気と行動に、敬意を表したいと思います。 冒険家として、栗城君にとって「エベレスト無酸素単独登頂」は、最後の挑戦と考えているのでしょうか。いつまでも山岳冒険家であり続けることは、年齢的にも社会的にも難しい限界があり、「いつ引退するか」という難しい選択をいずれしなければならないときが、いずれ来ると思います。私は23歳のとき、手作りヨットによる単独太平洋横断に挑戦しましたが、一度の挑戦で海洋冒険家としての活動を終えました。その後、建築家、教育者、地方政治家へと舞台を変えて、私なりの挑戦し続けてきたつもりです。冒険は、山や海だけが舞台ではありません。見方を変えれば、海や山の厳しい自然よりも、社会の荒波の方が高いようにも感じます。そう思えば、誰もが冒険家です。  私も実は、26歳のとき、再び新たな冒険に挑戦しようと考えました。当時、相談した森村桂(「天国に一番近い島」の著者)さんから「岡村さんは1回でいいじゃないの。2度目をやってしまうと、堀江謙一さんや植村直己さんのようになってしまうよ。1回でいいのよ。」と、またヨットの設計家で、堀江謙一さんのマーメイド号を設計した横山晃先生からは「ヨットは趣味にしなさい。まず、生活基盤を作り、趣味としてヨットのデザインをしなさい。ヨットで生計を立てることはアメリカでも難しい。これからも、冒険の機会は訪れる。」と諭され、私は建設会社に就職し、建築家を目指しました。 それでも、海への冒険の夢をなかなか捨て切れず、28歳の頃、単独太平洋横断や単独世界一周のためのヨットやボートの図面を書き、材料まで購入しましたが、次の第一歩を踏み出す自分自身への大義を見出すことができませんでした。冒険を実行に移すには、命を懸ける自分自身への強い意欲と大義名分が必要ですが、その域まで達することができませんでした。今も図面は、事務所の私の部屋に飾ってあり、「いずれ必ず」と、夢を未だ追っている自分がいます。 [...]

2 06, 2012

石坂浩二さんと共演したキャノン「オートボーイ2」(1984年)のテレビCMの映像を発見しました。

2016-01-23T11:19:20+09:006月 2nd, 2012|SEIJI Blog, 後援会活動報告|

私が30歳のとき、大手広告代理店から、キャンノンのテレビCM出演の依頼を頂きました。 共演するお相手が、有名な石坂浩二さん(現在、「なんでも鑑定団」などに出演中)と聞いて、びっくりしました。あれから28年、ふと思い立って、「YOUTUBE」を検索してみたら、80年代のCM特集に映像が出ていました。15秒タイプの一番短いCMですが、私も若いですね。 自宅に保管している1分間CMのビデオはビデオテープが「ベータ」なので、我が家では再生できません。 《《キャノン『オートボーイ2』のCM:「1980年代 CM20 」映像の最後に出ています。》》 撮影した場所は、神奈川県の佐島ヨットハーバー。夏用のCMなのに、撮影したのは2月で、前日からの雪で、撮影場所となるヨットのデッキや周辺は雪が積もっていました。スタッフ総出で雪掻きをしての撮影。 題材は、手作りヨットで太平洋単独横断したとき、ヨットの船内に貼ってあった1枚の女の子の写真です。八丈島、東方500㌔の海上で、嵐に遭い転覆したときも、その写真は残っていました。朝日新聞に掲載された太平洋横断の連載記事に、その写真のことが紹介されたのが、きっかけとなりました。 [...]

20 11, 2011

福島明人さんがサンフランシスコに到着。私はCYNTHIA8を上架しました。

2011-11-20T00:30:02+09:0011月 20th, 2011|SEIJI Blog, 宇部海洋クラブ|

7月1日横浜を31フィートのヨットで単独太平洋横断に出航した福島明人さんが、無事、目的地のサンフランシスコに到着しました。途中、衛星電話の不調などで、急遽、ハワイに入港するなどのトラブルはありましたが、夢が叶って、本当に良かったです。 相談を受けていただけに、ずっと気になっていました。彼からの電話では、12月末まで、アメリカに滞在し、ヨットは売却して帰国するとのことです。帰国後は農業をしたいそうです。(今の私なら、きっとサンフランシスコでヨットを整備して、ハワイ経由で、できれば南太平洋をめぐって帰るでしょうね。そんな生活に憧れています。私の夢ですから・・・。)写真左は福島明人さんのヨット写真右は私の「CYNTHIA-8」(宇部市妻崎漁港に係留しています)  私のヨットを3年ぶりに上架(陸に揚げること)しました。3年前、整備して海に降ろしましたが、忙しくて結局、3年間でたったの2回しかヨットに乗ることができませんでした。せっかく一生懸命整備したのに、もったいないですね。いつの間にか、船底はカキの養殖場のようになってしまいました。 議員活動も年々忙しくなり、そろそろヨットを持つこと自体が、限界に来ていますが、意地でも手放せませんね。 今回は、息子が「友達と乗りたい」と言い出したこと、また私の「不登校や高校中退の生徒が多い精華学園高等学校の子どもたちをヨットに乗せてあげたい」という思いもあり、思い切って整備することに決めました。ヨットは37フィート12人乗りで、大型の25トンレッカーを使っての作業ですが、吊り上げ用のベルトが舵板に引っかかり、所定の位置にスリングを固定できないので、結局、私が潜って処理しました。11月の海水は冷たいですね。まだまだ、若いです。いざとなれば、気合が入ります。借り物の船台もピッタリで、意外と短時間で作業を完了しました。今回は、マストも外してました。再塗装します。妻崎漁港に係留しています。漁港の準組合員です。船底はカキが一杯ついています。高圧水で洗浄するときれいに落ちます。写真右:少し離れてみると、かっこいいヨットですが、船齢35年の老朽船です。 息子の手伝いしだいですが、来春を目安に、ゆっくり整備します。

15 08, 2011

7月25日、福島明人さんが太平洋単独横断に出港しました。無事を祈るのみです。

2011-08-15T12:35:40+09:008月 15th, 2011|SEIJI Blog|

友人の紹介で、太平洋横断の助言をさせて頂いた福島明人(28歳)さんが、7月25日、横浜クルージングクラブのヨットハーバーからアメリカのサンフランシスコに向かって出航しました。当初7月5日出港予定でしたが、台風の接近などで、延期になっていました。今日で出航から20日が過ぎました。連絡がないのは、無事な証拠だと信じています。使用しているヨットは「バンフェット30」、9mの丈夫な船体です。横浜からサンフランシスコまで約1万キロ。航海日数70日とすれば、10月5日頃、サンフランシスコに到着する予定ですから、今日時点、ほぼ4分の1を走っていることになります。 上の写真は、7月18日に横浜クルージングクラブで撮影したときのものです。私が太平洋横断に使用した「シンシア3」は6mですから、私の目には、とても大きく感じました。近海用の救命ボート、SOS発信機、衛星を使った電話、GPSも備わっています。私のときは、無線も電気もなく、位置の測定も「六分儀」「時計」だけが頼りでした。私も、10年以内に再び挑戦したいですね。堀江謙一さんが未だに頑張っている姿を見ると、私もという気持ちになります。まだまだ、意欲だけは旺盛です。

17 06, 2011

7月1日(予定)福島明人(28歳)さんが「単独太平洋横断」に出港します。

2011-06-17T10:46:10+09:006月 17th, 2011|SEIJI Blog, 宇部海洋クラブ|

神奈川県横浜市の福島明人さん(28歳)が、友人の紹介で、私を訪ねてきました。目的は単独太平洋横断についてのアドバイスです。 私が手作りのヨットで横断したのは、34年前、昭和52年、23歳のときでした。当時はまだ、ヨットによる単独太平洋横断が「冒険」といわれた時代で、私の航海も自設計自作による初めての挑戦として、第1面に取り上げられましたが、今では、ほとんど記事としては取り上げられなくなりました。太平洋横断は「冒険から、誰でもできる航海」という見方に変わったのだろうと思います。 ヨットもベニヤ板(9ミリ厚)製で、まだFRP製のヨットは少数派でした。今では、木製のヨットはほとんどなくなり、時の流れを感じます。航海術もセキスタント(六分儀)を使い、太陽と水平線の角度を正確に測り、時計をチェックして位置を計算しました。正確な時計は必需品で、発売されて間もなかったセイコウの腕時計「クウォーツ」を2万7千円で購入しました。当時の大卒の初任給が6万円くらいでしたから、本当に高価でした。今なら1000円で購入できます。 さて、福島さんは、明るい性格で人柄もよく、真面目な青年でした。7月1日、横浜ベイサイドマリーナを出港して約60日から70日で、サンフランシスコを目指すとのことです。話を伺うと、経験も準備も十分過ぎるほどできており、ヨットもよく整備された「バンドフェット30(9m)」でFRP製のヨットです。私のときより、準備をされているなあと感じました。「荷物の忘れ物」さえがなければ、失敗することはないと思いました。 私のアドバイスは2つ。1.航海中に、将来の生き方(生き様)を考え決めること。 (将来、ヨットで生計を立てようと思わないこと)2.人間関係での悩みを持ったまま、出港しないこと。 [...]

25 01, 2011

「シンシア3」です。(室内は昭和52年(33年前)にタイムスリップ)

2011-01-25T08:24:49+09:001月 25th, 2011|宇部海洋クラブ|

平成23年4月の統一地方選挙が近づいてきました。 先日、行われた後援会の役員会で、事務所の玄関横の部屋を選挙事務所に使うことが決まりました。 そのため、部屋に保管してあった「シンシア3」(太平洋横断に使用したヨット)と、事務所の前の駐車場に保管していた災害用早期設置型シェルターを近くの駐車場に移動しました。 4トンユニックを使っての作業。結構、大変でした。 広い駐車場に置いてみると、シンシア3世は小さいですね。 昭和52年、147日間をかけて単独太平洋横断に使用したヨットです。 [...]

24 12, 2010

月刊「向上」に随想を掲載。表題は「目標を立てる(ライフサイクルプラン)」。

2010-12-24T22:20:23+09:0012月 24th, 2010|SEIJI Blog|

月刊誌「向上」(SYD修養団刊)の1月号に私の書いた随想「目標を立てる(ライフサイクルプラン)」が掲載されました。 太平洋横断の経験から 「目標を持つことの大切さ」 「夢を実現するノウハウ」 「青少年教育としてのライフサイクルプラン(人生設計図)」 について書かせて頂きました。 (随想の内容) [...]

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