活動報告
妻崎恵美須神社の「春祭り」。桜、晴天、無風に恵まれて楽しい一日を過ごしました。
平成9年、妻崎漁業組合の解散にともない、私がお世話させて頂くようになって、15年目を迎えました。
多くの皆さまのご奉仕で「草刈」や「しめ縄作り」が行われるようになり、本当に有難いことだと感謝しています。
今年の「春祭り」は4月15日、穏やかな晴天のなかで、しかも桜が7割程度の咲くなか、約70名が参加して下さいました。
11時30分より、松江八幡宮宮司の白石真三さんによる神事を行われました。
ご来賓として河村建夫先生秘書の時山さんがご出席下さいました。
《新聞記事 宇部日報2012.4.18》

多くの皆さまにご参拝頂きました。 松江八幡宮宮司の白石真三さんによる神事

崇敬会総代の縄田百合夫(「新西釣具店」代表)さんによる玉串拝礼。 白石宮司ご挨拶
早朝より卒塾生たちが準備してくれた広場で12時より直会。
参加者も年々増え、今年は焼き鳥、焼き魚のコーナーを作り、初めての仮設舞台では「MKY」によるバンド演奏、精華学園の中元稔先生や村田義三後援会長による歌などが披露され、和やかな、ひと時を過ごしました。


恵美須神社の全景です。 精華学園高等学校の皆さんと

東岐波精友会の皆さん。
秋芳町の宮崎さんと前田さんは「竹の子」と「わらび」の煮物を持参して下さいました。(写真右)

『焼き鳥』『アジの開き』を焼いてくれた卒塾生たち
当選祝いに頂いたエルメスのネクタイ姿の私。高級品とは知りませんでした。(写真右)

バンド演奏を披露してくれた菊池君、松尾君、山根君の「MKY」グループ
中山間地域の過疎化・高齢化、漁業組合の高齢化による解散などで管理できなくなった神社が増えているようです。
恵美須神社もその一例ですが、小さなお社とはいえ、「縁は人生の宝」と思って、喜んでお世話させて頂いています。
恵美須神社(社主:岡村精二、崇敬会総代:縄田百合夫)
「2012韓国・慶州さくらマラソン」に後援会のメンバー6人で参加。4.7
本格的なマラソン大会には、ほとんど全員初参加、しかも、海外というところがカッコいいですね。
読売旅行のツアーに参加しての挑戦。
私は、ほとんど、ぶっつけ本番で5㌔コースの挑戦しましたが、何とか、一度も休まず完走できました。
所用時間は30分。
1キロ6分間のペース、決して速くはありませんが、全体の2割くらいでのゴール、さすが市民マラソン大会です。
初めから歩いている人が約半分近くいました。
日本だったら、たぶん半分以上は全力疾走でしょうね。
お祭り気分の大会、楽しい解放感に浸ったマラソンでした。


5キロ完走直後の私(爽快感がいいですね) 有志6名(右端はハーフマラソンに挑戦した西山さん)
来年は10㌔に挑戦しましょう。

スタート直前の様子(参加者総数16000名) フルマラソン参加のノッチさんと
今回の参加は、地元後援会の「原校区精友会」忘年会で、マラソンが話題となり、毎日10㌔走っているメンバーの一人が「マラソン大会に参加しようか」と言いだし、「それなら応援が必要だし、サポートもいるから一緒に行こう」と私が言い出したのが、ことの発端。
その数日後、新聞折り込みに、「慶州さくらマラソン」のツアー広告が入っていました。
一気に話が盛り上がり、有志6名で3泊4日のツアーに参加することになりました。
参加者うち、毎日走っている西山さんはハーフマラソン、笠井さん、黒瀬さん、植木さん、縄田さんが10キロウォーク、そして私は5㌔マラソン。
参加を決めたものの、最近は走ったこともなく、超運動不足の私。
出発5日前に5㌔を試走してみると案の定、夜中の2時ごろ両足が痙攣を起こし、コブラ返し。
「これ以上練習をしたら、出発前に身体が壊れそうだ」という理由をつけて、少し散歩しただけで出発当日を迎えました。
それでも、恰好だけは整えなければと、ランニングウェアーを買い準備だけはOK。
往復関釜フェリー「はまゆう」2等船室、宿泊ホテルは慶州教育文化会館のオンドル部屋で、参加費用は大会参加費を含めて約4万円でした。
4月5日15:25 流川バス停出発 19:00下関港国際ターミナル出航
4月6日08:00韓国プサン港入港 鎮海のさくら祭り見物 慶州市内観光(仏国寺)
19:00前夜祭(慶州教育文化会館宿泊)
4月7日(土)8:00フルマラソンスタート8:05ハーフマラソンスタート
8:10 10㌔マラソンスタート 8:15 5㌔マラソンスタート
(私はちょうど30分間ゴール、まあまあでしょう)
13:00バス出発 16:00プサン着 国際市場で買物 20:00出航
4月8日 08:00下関港入港 10:00流川バス停到着


妻の見送りを受けて出発 プサン港に入港する関釜フェリー「はまゆう」

鎮海の係留されている「亀甲船」 1990年、韓国で初めて単独太平洋横断に成功したヨット。

バスガイドさんと笠井さん 前夜祭会場で記念撮影

オンドルの部屋に宿泊、いよいよマラソンに出発です。 完走直後の私。いい汗をかきました。
国際市場の露天で、春雨を頂きました。
来年はワンランク上げて、全員で参加することになりました。
まず、体重5キロの減量からスタートです。
「第124回 SYD山口青年セミナー」(社員研修)のご案内:5.15-17
恒例の新入社員・中堅社員研修「第124回 SYD山口青年セミナー」を山陽小野田市のきらら交流館で開催します。
主催者は私が会長をつとめているSYD修養団宇部市連合会です。
毎年、㈱ヤナギヤ、常盤薬品㈱、㈱UMGABSなど30名が参加しています。
社会の厳しさではなく、人間としての生き方を学ぶための2泊3日のセミナーです。
私は研修全般と講演「可能性への挑戦」、「人生設計図の作成」を担当します。
新社員を受け入れられる会社の社長さん、ぜひ、ご検討下さい。
スタッフは全員、ボランティアでお手伝いしています。
「第124回 SYD山口青年セミナー」
1.日 時 平成24年5月15日(火)~17日(木)(2泊3日)
2.対象・定員 18才以上の男女(30名)
3.主幹講師
SYD伊勢青少年研修センター所長 武田 数宏
(松下電器、日立製作所、東芝電器などの大手企業、また青年会議所、PTAなどの講師として活躍中)
吉部八幡宮 宮司 野村 清風
(山口県神社庁長、社会教育活動など多方面において活躍中)
精華学園高等学校 理事長 岡村 精二
(小型ヨットによる単独太平洋横断に成功。青少年健全育成のため、
自然体験キャンプやヨット教室などの体験教育を実施。工学博士)
4.研修内容 講話、童心行、グループ研修、ブラインドウォーク、人生設計図の作成、
朝の行事、交歓の集い、反省行(水行)
5.場所 山陽小野田市焼野海岸 「きらら交流館」TEL 88-0200
6.会費 1人25,000円
《第124回 SYD山口青年セミナーのご案内 PDFファイル》
これまでのセミナーでの写真です。


野村清風先生の講話 武田数宏先生の講話(三重県伊勢市からお招きします)


精華学園高等学校の片山徳五郎教頭(後ろは私の家内です) 私のふんどし姿も、気合が入っています。
「平成24年 岡村精二・新春の集い」を開催。防災について50分も講演してしまいました。
2月4日午前11時から「ANAクラウンプラザホテル」にて、後援会の「新春の集い」を開催しました。
2日に大雪が降ったので、天候のことがとても心配でしたが、道路の雪も解けて、穏やかな天気。
たくさんの支援者の皆さまが、ご参加くださり、雅原流「真結の会」の皆さまによる日本舞踊や、今井美樹さんによる二胡の演奏など楽しい一時を過ごしました。
ありがとうございました。

村田義三後援会長の挨拶 来賓としてご出席くださった合志栄一県議会議員
県議会議員の合志栄一さんがご出席下さり、来賓代表として素晴らしいご挨拶を頂きました。
合志さんは毎議会、一般質問をされ、しかも内容は、いつも一つのテーマです。
多方面に亘って質問文を作成するのは楽ですが、テーマを一つに絞ると相当な勉強と前準備が必要です。
会派は違いますが、尊敬する議員の一人です。


野村清風副会長により乾杯(g市議会議員さんと)

雅原流「真結の会」の皆さまによる日本舞踊

今井美樹さんによる二胡の演奏
活動報告で、私は予定時間の30分をはるかに越える50分も講演をしてしまいました。
出席してくださった皆さんが、聴き入って下さっていたので、ついつい、悪い癖を出してしまいました。
さすがに15分オーバーした時点で、後方から妻が「やめろ!」のサインを出しました。
テーマは専門分野の「東日本大震災から学んだこと」「山口県の未来のために」、ついつい熱が入ってしまいました。
《使用したパワーポイントです》

会の最後に、「精華学園高等学校」職員の皆さまの演奏とリードで、「野に咲く花のように」と「ふるさと」を合唱しました。
精華学園高等学校校長の江藤修三先生による「終わりの挨拶」と「万歳」で、会を終了しました。
2時間30分の会でしたが、途中で退席される方も、ほとんどなく、スタッフはそのことで、大きな満足感を感じていました。
いいスタッフの皆さんに囲まれて、一番幸せなのは私だと、心から思わせて頂きました。
(ホテルの食事も対応も、本当に良かったです。ありがとうございました。)
第1回「岡村精二近県親善交流野球大会」を、きらら元気ドームで開催しました。
後援会とコバッツ野球クラブの主催による第1回「岡村精二近県親善交流野球大会には、
山口県のみならず、福岡県、広島県、島根県から、9チームにご参加頂きました。
開会式には、衆議院議員の河村建夫先生が、ご来賓として参加くて下さいました。
会場となった「きらら元気ドーム」のグランドは、東京ドームと同じ広さです。
子どもたちはグランドに入った瞬間から、プロ野球選手になったような顔をしていました。
「場面と役割が、立派さを育てる」
といいますが、子どもたちにはいい思い出になったようです。
6年生にとっては最後の試合、日ごろ、懸命の練習の成果を十二分に発揮し、溌剌としたプレーを見せてくれました。
特に、子どもたちのマナーの良さに、びっくりさせられました。
監督、コーチ、そして、保護者の皆さんのご指導の賜物ですね。
ご参加くださった各チームの皆様、そして、早朝より準備をしてくださったスタッフと審番員皆様
に心より厚くお礼申し上げます。


寒いなか、一生懸命アナウンスをしてくださった平川さん親子 河村建夫先生がご来賓としてご参加くださいました。

イラストがいいですね。わざわざ作ってくださいました。
女性の会「はなはな会」を開催。全員で「野に咲く花のように」を合唱しました。
女性の会「はなはな会」を全日空ホテルで開催し、多くの皆様にご出席頂きました。
本当に有難いことと、心から感謝しています。
ご来賓として、お忙しいなか、参議院議員の岸信夫先生、衆議院議員・河村建夫先生の奥様の隆子さん、
そして参議院議員・林芳正先生の奥様の裕子さんもご出席下さいました。
女性部会長の渡木美枝さんの挨拶の後、
「テレビ寺子屋」(フジテレビ系列)講師という肩書きで、講演をさせて頂きました。
演題は「親子のきずな」(親からの手紙に涙する子供たち)」。
「親子の手紙のやり取りをとらえた映像」を放映し、「きずなの大切さ」について話させて頂きました。
持ち時間は25分でしたが、ついつい5分オーバーしてしまいました。
ティータイムの後、
雅原真結さんによる日本舞踊、今井美樹さんによる二胡演奏、宇部民踊愛好会による踊りの披露など、
皆様と楽しいひとときを過ごしました。
そして、最後に「はなはな会」のテーマソングになった「野に咲く花のように」を合唱しました。
終わりの挨拶で後援会長の村田義三さんが選挙のことに触れられて
『前回の統一地方選挙では「岡村精二は大丈夫!」との風評が行き渡り、
終わってみれば、7人中5位でした。
今回は最後まで気を引き締めて応援をして頂きたい」と述べられました。
私自身が、一番、気を引き締めなければいけませんね。
第40回宇部市街頭美化清掃奉仕を開催しました。(主催:修養団宇部市連合会)
12月19日、私が会長を勤めさせていただいている修養団宇部市連合会主催による
第40回宇部市街頭美化清掃奉仕を実施しました。
市制50周年を記念して始まった市民参加による清掃奉仕で、今年で40回目になりました。
清掃奉仕には、宇部興産(株)、UMG・ABS、大栄商事などの企業、また宇部ロータリークラブ、国際ソロプチミスト、慶進高校サッカー部、宇部西高校生徒会、FC宇部ヤーマンなどの団体から、約400名を超える皆さんがご参加くだいました。
厚くお礼申し上げます。
午前10時、JR宇部新川駅前と宮大路南街区公園に集合した後、軍手や竹ぼうき、ビニール袋を手に常盤通りやシンボルロード沿いに歩きながら市役所を目指し、枯葉やごみ、空き缶などを拾って集め、市役所西側の公園に集結しました。
解散式では第1回から参加されている西岐波の小笠原文枝さんに、清掃奉仕が始まった当時の思い出についてお話していただき、また久保田きみ子市長さんもお忙しい中、駆けつけてくださいました。
さて、宇部市はかつて「日本一のお掃除の街」と言われていたことをご存知でしょうか。
宇部市は世界有数の煤塵公害の町と言われ、その汚名を産学官が、力を合わせて対策に取り組み、市民は花や柳の木を植え、清掃奉仕を積極的に行い克服した素晴らしい歴史があります。その市民運動の中心をなしたのが、修養団宇部市連合会です。
当時は市内のほとんどの企業が連合会の会員だったそうです。
今も多くの企業が、早朝から会社の周辺道路などの清掃奉仕を行っているのはその名残りでもあります。
ぜひ、お掃除日本一を復活させたいものですね。
本事業を、私が実行委員長として運営するようになって、12年目になりました。
毎回、多くのボランティアに支えられての事業で、本当にありがたいことだと感謝しています。
「街がきれいになれば、人のこころがきれいになる。そうすれば犯罪が無くなり、安心、安全、安らぎにあふれた街になる。清掃奉仕の市内全体に広がればいいですね」
注:修養団とは文部科学省所管の社会教育団体で、
明治38年に東京師範学校(現:東京教育大学)の学生たちにより設立された団体です。
県政報告会を開催。「夢、山口」と題して未来志向の話をさせて頂きました。
宇部全日空ホテルで開催した県政報告会には、年末にもかかわらず、多くの皆様がご参加くださいました。
「ありがたいことだ」と、心から感謝しています。
県政報告会では、山口県の現状報告を行い、過疎化対策や高齢化対策などについて、県の施策を報告する予定でした。
しかし、国民体育大会の開催など、明るい話題もありますが、厳しい財政状況、そして、景気の低迷と雇用の不安などの現状を考えると、どうしてもマイナス思考の話になってしまいます。
そこで今回の報告会では、予定を変更して、急遽、山口県の可能性、そして私の描く山口県の未来像について「夢は山口県発・日本再構築」と題して、大きな大きな夢を語らせていただきました。
県政報告の後、林芳正参議院議員より「報告会でこんな希望の持てる話を聞いたのは初めて。叶いそうにない話も岡村さんが話すと、叶いそうな気がするから不思議ですね。遷都は難しいとは思いますが、衛星統括基地や、データの集積基地にはなれる可能性があると、具体的な話をされるのは岡村さんらしいです。聞かせていただいて良かったです。」という挨拶を頂きました。
夢・その1:『家族の復活』
家族は社会の最小単位であり、子どもたちは家族の中で社会規範や生き方を学びます。
家族は人間関係、人と人との共生関係の基礎。
しかし、家の住まい方、テレビ、ファミコン、携帯電話などが家族にあり方、価値観に影響を与えています。
どんなに厳しい時も家族さえしっかりしていれば、困難な課題も解決できます。
仕合せとは「日々の生活に中で、何となく楽しい、うれしい、有難いと感じられることだ」と思います。
「家族の復活」なくして「日本の復活」はありません。
夢・その2:『教育県山口』『政治県山口』『農林水産県山口』
山口という言葉には「先駆けになる」「先人を切る」という意味があります。
明治維新を成し遂げた山口県人としての誇りと気概を子どもたちに持たせたいですね。
大人が3人集まれば、政治の話題になるのは、山口県人の特質だそうです。
「政治家養成塾」を立ち上げ、政治に関心を持たせる風土を培いたい。
『国家の根幹は教育』
日本は常にNo.を目指す技術創造立国を目指すべきであり、それしか日本は生き残れない。
(資源のない国の学力が大きく低下したとき、その末路はどうなるのでしょうか)
・寺子屋の数:日本一(人口比)だった山口県は日本一の教育県。
子どもたちの学力を向上させ、教育立県山口を!
・水産大学と山口大学農学部に水産・農業高校生の推薦枠を設け後継者育成を。
夢・その3:『中核都市を持たない山口県を逆手に取る社会福祉平準化』
県庁所在地の山口市ですら人口は19万人。
文化施設が一極集中していないことが山口県の素晴らしさです。
他県では県庁所在地に人口と、あらゆる文化施設が集中しています。
しかし、山口県は県内どこに住んでいても、同じような福祉が受けられます。
夢・その4:『周防灘港・ハブ構想』
平成7年、阪神・淡路大震災によって神戸港は長期にわたり使用不能となりました。
その間に、韓国のプサン港がアジアのハブ港といわれるまでに急成長しました。
私は元船員で漁船や油タンカーに3年間乗船していました。
周防灘を1つの港と捉えると、アジア最大のハブ港になれる可能性を秘めています。
周防灘なら、どこでも大型タンカーは停泊可能です。
宇部港や防府港は川が近くにあるため、大型船舶用の岸壁を整備することは難しい。
徳山港、下松港は天然の良港であり、かつては連合艦隊も入港しました。
新幹線、高速道路からの近く、国家政策として集中的に整備すれば・・・・。
夢・その5:『巨大アウトレットに併設した1万人収容のアリーナ』
若者の県外流出を食い止める魅力ある山口が必要です。
SMAP(スマップ)やEXILE(エグザイル)をよべる施設は県内にありません。
一番広い施設は徳山文化会館で1800名。
以前、EXILE(エグザイル)をよんで「きららドーム」でコンサートを開催しようとしました。
しかし、環境時間が長く、コンサートは無理だと断られました。
若者たちが買い物をしたくなるような巨大なアウトレットと付属したアリーナ施設が山口県にほしい。
新幹線、高速道路などの交通の便を考えると、可能性のある場所は新山口駅南側でしょうか。
夢・その6:『観光産業県山口』(NHK大河ドラマ「高杉晋作」)
私は全国2000箇所で講演をし、そのたびに観光をさせていただきました。
山口県ほど、素晴らしい観光資源に恵まれた県はありません。
観光にもっと自信を持たなければいけません。
3方を海に囲まれ、全国に誇れる素晴らしい観光資源があります。
(須佐のホルンフェルス、青海島の景観、秋芳洞、錦帯橋、温泉、総合公園としての常盤公園)
そして、温暖な気候に育まれた「りんご」や「なし」、「みかん」。
NHK大河ドラマも「高杉晋作」なら、県民そして子どもたちに誇りと自信を与えてくれます。
しかも、古川薫原作、山田洋二監督なら最高ですね。
夢・その7:『遷都!山口』(全国で一番安全な山口県。秋芳洞は何万年もの間、地震がなかった証)
東海地震がクローズアップされて、一時期、「遷都」が話題となりました。
東京への一極集中は、東海、東南海地震が起これば、日本最大の危機に瀕することになります。
しかし、遷都も、名古屋、京都、大阪、福岡、広島には活断層が多くあり、安全とは言い切れません。
中国地方の語源:
葦原中国(あしはらのなかつくに)とは「大国主命が国造りをした」といわれる日本の国土です。
すなわち、中国という言葉には、日本の中心という意味があります。
広島には活断層が多くあります。
山口県の県庁付近と仁保地区には衛星用のパラボナアンテナが設置されています。
どこよりも地盤が安定しているからです。
山口県には菊川断層、岩国断層群があり、最近、山口市の中央部に新たな断層が発見されました。
しかし、美祢市、宇部市北部地域は、何万年もの間、大きな地震の無かった安全地域がです。
きれいな鍾乳洞ができたのは、その証です。
遷都は難しいでしょう。
しかし、データ集積基地、衛星統括基地となりうる可能性を備えています。
(遷都は過去の歴史を見ても、内需拡大、景気浮揚には有効な国家政策なのですが・・・。)
『生活者の起点に立った政策を提案し、専門的知識を持って、自ら行動し夢を形にしていく議員』を目指して、「今できることを、精一杯、取り組み、皆様のご期待に添えるように努力して参ります。
災害対策分野における「工学博士」取得までの歩み
平成22年3月8日、山口大学より学位博士(工学)を授与されました。
阪神・淡路大震災以来、災害対策に携わって15年目となりましたが、本当に有難いことだと感謝しています。
授与式は3月8日午後5時から山口大学工学部の本部棟で開催され、学長の丸本卓哉先生より手渡されました。
防災工学分野(安全環境教育分野)での博士号です。
議員になってから、大学に入学し、学位博士を取得した事例は全国で初めてだそうです。
ひとえに研究活動を支えて下さった三浦房紀教授をはじめ、多くの皆さまのご協力の賜物と心から感謝しています。
特に大学生3人(長男、長女、私)の学費を黙って納め続けた妻には、大感謝ですね。
(左上写真)丸本卓哉山口大学学長より「学位記」を授与されました。
(右上写真)三浦房紀教授(学部長)と


(左上写真)海志、丸本山口大学学長、私、妻、星香、三浦先生
(右上写真)論文作成など、たいへんお世話になった村上ひとみ准教授も駆け付けて下さいました。
今回、学位博士(工学)を取得したのは3名(中国人留学生の女性と工学部の先生と私)でした。
本審査に提出した学位論文5冊と、授与された学位記
振り返ってみますと、研究活動の発端は、平成7年の阪神・淡路大震災直後、被災者が避難所となった体育館に溢れ、不自由な生活を余儀なくされている姿をテレビで見たときでした。
当時必要とされた仮設住宅は約5万戸、その建設日数は6ヶ月も掛かるとのことでした。
「被災者をプライバシーのない避難所生活から早期に開放する方法はないのか」「立派な仮設住宅でなくとも、とりあえず住める簡易住宅を早急に提供する施策はないのか」と考えたとき、思い起こしたのは単独太平洋横断に使用したシンシア3世号のことでした。
全長6m、幅2mの小さなヨットですが、船内には4人生活できる空間と設備がありました。
その経験を基に「1週間で5万戸設置できる避難施設を開発したい」を研究課題として始まったのが、早期設置型戸建てシェルター(緊急避難施設)の開発でした。
「被災者を救いたい」との願いだけで始まった研究は15年目を迎え、山口大学大学院(防災システム工学科)に社会人学生として入学して9年目となりました。
議員として多忙な日々の合間での研究活動でした。
しかし、長年の研究成果を博士論文としてまとめる機会を頂けたことは本当に有難いことだと感謝しています。
今後も微力ながら「暮らしの安全・安心を守る」という使命感を持って災害対策に取組んで参りたいと思っています。
製本された学位論文を、ゆっくり読み直してみると、15年間の研究経過と本当に多くの皆様のお世話になったと心から感じます。

学位論文の題目は
『大災害を想定した早期設置型「戸建てシェルター」の開発と評価』
(Development and Evaluation of Sectional Compact Emergency Shelterfor Early Supply in The Great Disaster)
総頁数はA4版で150頁です。
一般公開のために県庁議会棟前に搬送された早期設置型「戸建てシェルター」の試作品
(組立て前は幅2.2m長さ2.5m、高さ0.8mの箱状)
組立後は、室内にベッド4、テーブル、トイレ、シャワー、冷蔵庫、台所が備わった戸建てシェルターになります。
組立て時間は約45分。解体は約30分。組立作業にクレーンは必要ありません。
新潟県中越地震発生後、被災地である小千谷市に搬送設置された戸建てシェルター。
災害ボランティアの青年たちが、1ヶ月居住実験を兼ねて生活しました。
【学位論文要旨】
大災害を想定した早期設置型「戸建てシェルター」の開発と評価
(Development and Evaluation of Sectional Compact Emergency Shelter
for Early Supply in The Great Disaster)
阪神・淡路大震災では、6千名を超す犠牲者を出す大惨事となり、兵庫県では避難所1,153か所に約32万人の被災者が避難した。必要とされた応急仮設住宅は約5万戸だったが、1か月後に建設された応急仮設住宅は1,250戸であり、7ヶ月たった8月11日までに完成したのは4万8,300戸だった。特に市街地では敷地の確保が難しく、応急仮設住宅が自宅から離れたところに建設され、自宅の修理などに支障をきたした事例もある。また、復興の初期の過程において、自力で従前居住地に住宅・店舗・工場の建設に取組んだ被災者もいる。
現在使用されている応急仮設住宅は、軽量鉄骨で骨組みを組立てて外壁を形成する方式と、コンテナハウスを現地で連結する方式の2通りがあり、災害の規模にもよるが、2000年鳥取県西部地震の日野町や2000年北海道有珠山噴火の虻田町では被災後約20日、また新潟県中越地震では被災後約30日で最初の入居が可能になり、3,460戸の建設に2ヶ月を要した。
また、既存の応急仮設住宅では、大規模な災害が発生した場合には、建設場所・資材置き場の確保、建設日数の長期化、大工等の作業員およびその宿泊場所確保などの観点から対応できないという問題もある。
避難所生活は被災者の孤立化を防ぎ、情報を共有できるなどの利点もあるが、プライバシーのない生活を強いられ、心身の健康に影響を及ぼし、自家用車等での窮屈な生活によるエコノミー症候群も問題となっている。
既往の研究においても、応急仮設住宅や復興住宅の建設に当って、避難所からの早期開放、従前居住地近くに居住すること、住宅復興の選択肢を増やすことの重要性を指摘している。
本研究では緊急避難施設の選択肢の1つとして、従前居住地である被災した自宅そばに設置し自宅の修理など、住宅復興支援の選択肢として、避難生活からの早期開放と住宅の復興を支援する対策として災害発生後、被災地に配送し、早急に居住可能となる小型の「早期設置型の戸建てシェルター」の開発を行い、アンケート調査と居住実験により、その居住性に関する検討を行い、その活用方法を提案することを目的とした。
まず、過去約20年間に地震や台風、津波により、甚大な被害を受けた国内の7市町おいて設置された避難所と応急仮設住宅を調査した。調査分析結果に基づき、戸建方式の災害用「早期設置型の戸建てシェルター」の必要性を確認し、備えるべき諸条件を把握し、「早期設置型の戸建てシェルター」の開発を行い、模型および試作品による実証とその運用に関する研究を行った。
開発・検討の過程において模型を6戸製作し、また原寸大の試作品5台を製作した。
「早期設置型戸建てシェルター」の必要性と居住性、活用方法を検討するため、宇部市で試作品による組立て・解体の公開実験と市民へのアンケート調査を行い、2004年11月、新潟県中越地震で被災した新潟県小千谷市に搬送し、同様のアンケート調査を行った。
居住実験は小千谷市に設置し、災害ボランティア等を被験者として、1ヶ月間の冬季居住実験を行い、2006年7月~8月、山口大学工学部(宇部市)のキャンパス内に設置し、学生を被験者として夏季居住実験を行った。さらにアンケート結果と居住実験を評価検討し、新規・組立て式戸建てシェルターを試作し、居住実験を行った。
その結果得られた主な知見は、以下の通りである。
1)アンケート結果により、小千谷市と宇部市では、災害に対する意識の違いから、戸建てシェルターの必要性、使用限界日数、求める住宅設備にも、差があることがわかった。
避難所生活の限界日数より、戸建てシェルターの限界日数の方が長いことから、住民の期待に応えられる可能性が示された。また、避難所生活の不自由さとして、プライバシー、睡眠、食事、入浴、不安感などが課題となるが、戸建てシェルターはプライバシー、睡眠、食事などの課題を改善できることがわかった。
2)居住実験から、試作品は輸送に耐え、数週間の避難施設としての役割を果たせることが確認できた。しかしながら、本体構造の剛性、防火対策の必要性、組立て方式の簡素化、床面積の狭さに起因する問題点も明らかになった。
3)新規戸建てシェルターの開発では、上記2)で指摘された問題点を解決するとともに、火災からの安全性、また余震対策等に対する強度も考慮し、構造材料を軽量鉄骨にし、壁・屋根材も鋼板製に変更した。居住実験により、設備・居住性について改善されたことが確認された。
4)戸建てシェルターは基本的な生活のための居住性を有しており、さらに連結可能であることから、障害者や高齢者、大家族にも対応できる。全国に分散して備蓄することによって、災害時での早期設置が可能となり、戸建てシェルターの実用性は高いものと思われる。
以上のことから、戸建てシェルターは既往の研究で指摘されている3項目
①避難所生活からの早期開放
②従前居住地近くに居住すること
③住宅復興の選択肢を増やすこと
を満足するとともに、被災直後の避難施設の選択肢の一つとして、有効であることがわかった。
学位取得までの歩み(アーカイブ)
1995年 阪神・淡路大震災
1999年 代風18号による高潮で山口県西部地区、甚大な被害
2000年 北海道有珠山噴火


左写真:神戸市内の避難所
中写真:北海道有珠山噴火
右写真:台風18号による高潮災害(宇部市床波商店街)
2000年10月 山口大学大学院前期博士課程(修士課程)防災システム工学科入学
2002年9月 山口大学大学院前期博士課程(修士課程)終了
2002年10月 山口大学大学院後期博士課程(環境安全学科)入学
2008年9月 山口大学大学院後期博士課程単位取得退学
2009年8月 日本建築学会の学術論文(2本目)が採用決定。学位論文を大学院に提出
〈日本建築学会論文①「大災害を想定した組立て方式による早期設置型「戸建てシェルター」の開発」PDFファイル)
〈日本建築学会論文②「戸建てシェルター」の居住性に関する検討と新規試作品の開発」PDFファイル)
2009年12月18日 学位論文公聴会
12月18日、「博士」学位論文公聴会が山口大学工学部のD12講義室で開催されました。
午前9時からの公聴会には、早朝、雪の降りしきる中、しかも年末のたいへんお忙しい時期にもかかわらず、多くのご参加頂きました。
おかげ様で博士論文の予備審査、本審査、そして公聴会を終え、2010年(平成22年)3月16日、山口大学本部で開催される授与式で学位「工学博士」を頂けることになりました。
左写真:多くの聴講者の前での発表、まさに私は学生です。
プロジェクターで映し出されたパワーポイントのスライドで研究発表を行い、聴講者から質問を受けました。
写真右:終了後、会場看板の前で記念写真。
左端は妻の里美、そして、宮本弘・映子後援会会長夫妻。
三浦房紀教授、村上ひとみ准教授、滝本浩一准教授には、本当にお世話になりました。
この後、私は議会に出席するため、山口に向かいました。
2010年3月8日 学位「博士(工学)」を授与
2010年4月28日 学位授与祝賀会(宇部全日空ホテルにて)

































































ローカル・マニフェスト













