東日本大震災

20 08, 2012

東日本大震災支援「炊き出しボランティア実践隊」16名参加 8.18-21

2016-01-23T11:22:28+09:008月 20th, 2012|SEIJI Blog, 東日本大震災|

会長を務めさせて頂いているSYD修養団宇部市連合会主催による東日本大震災「炊き出しボランティア実践隊」を募集したところ、有難いことに中学1年生から77歳まで16名のご参加を頂きました。日程は8月18日から21日までの3泊4日。参加者個人の負担金は東京までの往復の交通費で、東京からの福島までの移動費、現地での宿泊、炊き出し費用などは、すべて修養団本部が負担して下さいました。 炊き出しを行った場所は、福島県新地町小川公園仮設住宅(被災後、最初にできた仮設住宅)で、世帯数は110戸です。食事は、カレーライス(250食)、焼きそば(150食)、杏仁豆腐(200食)、コーヒーを提供しましたが、すべて食べて頂くことができました。現地では、宇部テクノエンジ㈱と和宏産業㈱の社員さん4名が応援として参加して下さいました。お土産を兼ねて持参した宇部銘菓「うべっこ」も被災者の皆様に食べて頂き、たいへん好評でした。 「この時期に至っても、炊き出しが必要なのですか」という声がありますが、今だからこそ、交流と声掛けを求めている被災者がたくさんいます。『私たちは、被災者に皆さんを決して忘れてはいません』というメッセージでもあります。被災された皆様のお話をお伺いしました。「今、生きていることだけで幸せ。」「家族の絆の大切さを改めて感じた。」など、『幸せは日々の生活の中にある』と心から思わせて頂きました。 炎天下でのボランティア活動でしたが、被災者の皆様の笑顔に接し、大きな感動と勇気を頂きました。8月18日(土)新山口駅を出発し、東京駅からはバスで福島県猪苗代、そして夕方、檜原湖畔の「ばんだいふれあいぴあ」に到着し、炊き出しのための下拵えを行いました。夕食は「炊き出し用のカレーライス」です。 18日06:30新山口駅集合 07:06発の「のぞみ」で東京へ中学1年生の最年少の室田萌さん。東京から合流した中村美月さん(中学1年生)。   17:00SYD修養団の「ばんだいふれあいぴあ」に到着。参加者全員で最初の記念写真。                吉田佑輔くん。「ばんだいふれあいぴあ」は、福島県磐梯の桧原湖畔にある自然環境抜群の施設です。 杏仁豆腐班の皆さん。焼きそばの下拵えをする 岡田悟君。            人参の皮むきをする縄田さんと祝迫さん       カレー用の玉ねぎを剥く松田宏平君と天満太一君。 ジャガイモの皮を剥く浅上さんと吉田君                                   男性料理教室の先生 平岡弘子さん修養団講師の青木先生                     原精友会会長の縄田さん試食を兼ねての遅い夕食でしたが、充実があり楽しい一時でした。19日(日) いよいよ、福島県新地町「小川公園仮設住宅」での炊き出しの日のです。炊き込み用の食材・器材を積み込む。              福島県新地町近郊の被災地で祝迫さん、平岡さん、浅上さんと。                 原精友会(私の地区後援会)の皆さんと。小川公園仮設住宅(最初にできた仮設住宅です)約110世帯が居住。炊き出しのビラを配布する吉田君。現地集合で参加して下さった岩国市の企業である『和宏産業㈱』の皆さん。修養団食堂のメニューは、カレーライスと焼きそば、杏仁豆腐、コーヒー、銘菓「うべっこ」です。焼きそばを盛り付ける石丸さん                 杏仁豆腐を試食中の子どもたち頂いた「かれい」の刺身がおしかったです。 祝迫さん。     中学1年生コンビの中村さんと室田さん。小川公園の仮設住宅、うまく配列されていました。     修養団炊き出し部隊(18名)村上さんの講話は感動そのものでした。「家族の大切さ」、「日常のなかにある幸せの大切さ」を学ばせて頂きました。仮設住宅の自治会役員の皆さまとの記念写真です。   お見送りありがとうございました。 20日(月) 早朝から自主的に施設の掃除をされる参加者の皆さんの姿の感動しました。       帰路、『五色沼』と『野口英雄記念館』に立ち寄り、       午後3時半には、品川のホテルに到着しました。       夜は子どもたちを引率して、東京タワーに行きました。       展望台ではNHK大河ドラマ「篤姫」で久坂玄瑞を演じた東武志さんのFMライブがあり、       私たちの活動を紹介して頂きました。 トイレ掃除をする植木さん。                   庭掃除する山下さん。                                   感想文に真剣に取り組む植木さん。反省会では、一人ひとり意見を述べました。植木さんは、福島原子力発電所の建設当時、8ヶ月間、近くの旅館で生活していたそうですが、今は立ち入り禁止地区になっており、当時、お世話になった方々が、今どうしておられるのかを案じていました。東京タワー展望台での東さんのライブ。室田さんと河内さん。 [...]

6 02, 2012

「平成24年 岡村精二・新春の集い」を開催。防災について50分も講演してしまいました。

2016-01-23T11:22:54+09:002月 6th, 2012|SEIJI Blog, 後援会活動報告|

2月4日午前11時から「ANAクラウンプラザホテル」にて、後援会の「新春の集い」を開催しました。2日に大雪が降ったので、天候のことがとても心配でしたが、道路の雪も解けて、穏やかな天気。たくさんの支援者の皆さまが、ご参加くださり、雅原流「真結の会」の皆さまによる日本舞踊や、今井美樹さんによる二胡の演奏など楽しい一時を過ごしました。ありがとうございました。村田義三後援会長の挨拶                     来賓としてご出席くださった合志栄一県議会議員 県議会議員の合志栄一さんがご出席下さり、来賓代表として素晴らしいご挨拶を頂きました。合志さんは毎議会、一般質問をされ、しかも内容は、いつも一つのテーマです。多方面に亘って質問文を作成するのは楽ですが、テーマを一つに絞ると相当な勉強と前準備が必要です。会派は違いますが、尊敬する議員の一人です。 野村清風副会長により乾杯(g市議会議員さんと)雅原流「真結の会」の皆さまによる日本舞踊今井美樹さんによる二胡の演奏  活動報告で、私は予定時間の30分をはるかに越える50分も講演をしてしまいました。出席してくださった皆さんが、聴き入って下さっていたので、ついつい、悪い癖を出してしまいました。さすがに15分オーバーした時点で、後方から妻が「やめろ!」のサインを出しました。テーマは専門分野の「東日本大震災から学んだこと」「山口県の未来のために」、ついつい熱が入ってしまいました。《使用したパワーポイントです》会の最後に、「精華学園高等学校」職員の皆さまの演奏とリードで、「野に咲く花のように」と「ふるさと」を合唱しました。精華学園高等学校校長の江藤修三先生による「終わりの挨拶」と「万歳」で、会を終了しました。 2時間30分の会でしたが、途中で退席される方も、ほとんどなく、スタッフはそのことで、大きな満足感を感じていました。いいスタッフの皆さんに囲まれて、一番幸せなのは私だと、心から思わせて頂きました。(ホテルの食事も対応も、本当に良かったです。ありがとうございました。)

6 09, 2011

宮城県石巻市災害ボランティア・ツアー参加者募集のお知らせ

2011-09-06T09:37:24+09:009月 6th, 2011|SEIJI Blog, 東日本大震災|

9月24日から29日までの日程で、宮城県石巻市への災害ボランティア・ツアーを開催します。参加募集定員は10名。ぜひ、ご参加下さいますようご案内申し上げます。往路の交通費(新幹線)は、修養団宇部市連合会が負担します。財団法人「修養団」とは文部科学省所管の団体で、日本最初の社会教育団体です。(宗教、政治団体ではありません) さて、暑い毎日が続きましたが、ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。それにしても、台風12号の被害は、甚大ですね。死者・行方不明者は100名を越えそうです。さらに、これから北海道の豪雨も心配です。日本列島全体に災害による被害が連続的に起こっている事態は、日本人への自然界からの何らかのメッセージなのかもしれませんね。「豊かの繁栄に満ち溢れている日本。自然を神とし、畏敬の心をもって生きてきた精神文化の崩壊へ警告なのでしょうか」3月11日に発生した東日本大震災から6カ月が過ぎようとしていますが、未だに多くの被災者が避難所で生活し、また、瓦礫の片付けが、手つかずの被災地も多くあります。宇部市連合会として、6月の総会で協議いたしました被災地での支援活動を下記の日程で計画いたしました。今回は災害ボランティアのNPO法人「オン・ザ・ロード」が受け入れ先となり、その拠点基地(テント村)である宮城県大崎市に行き、そこをベースに石巻市等で支援活動を行います。 日時 平成23年9月24日(土)~29日(木) (5泊6日) 24日(土)  08:00宇部駅集合―新山口駅(新幹線)仙台駅-大崎市16:00着25日(日) 「災害ボランティア活動」(石巻市または女川市)26日(月) 「災害ボランティア活動」(石巻市または女川市)27日(火)  津波による被災地視察(三陸海岸)28日(水)  09:00テント村出発-バス移動-17:00(北陸の「名湯」泊)29日(木) [...]

13 06, 2011

改良型の新「支援ハウス」の製作を始めました。6月末完成予定です。

2011-06-13T16:55:20+09:006月 13th, 2011|SEIJI Blog, 東日本大震災|

被災地からの要請もあり、災害用早期設置型組立て式「戸建てシェルター(災害復興支援ハウス)」の新バージョンを製作し、試験的に被災地で使用して頂くことにしました。現在、宮城県大崎市で災害ボランティアの支援として使われている「支援ハウス」は、2005年10月に自作したFRP製です。2005年の新潟県中越地震では、新潟県小千谷市体育館の近くで、冬季1か月間、災害ボランティアの支援に使用されました。また、2006年に開催された「国際プラスチックフェアー」では特別招待作品として、会場の千葉県「幕張メッセ」の玄関に展示されています。すでに、試作して6年間が過ぎましたが、今も支障なく使われており、再使用が可能であることが実証されています。既存の仮設住宅の建設・解体費用は、一棟あたり500万円も掛かり、しかも、再使用されることなく廃棄処分されています。支援ハウスは再使用が可能で、費用と環境面からも有効だと思われます。今まで使用された皆さんから、多くの改良点や意見を頂いており、阪神・淡路大震災以来、15年間、災害対策に関わってきた集大成になればと思っています。 現在、宮城県大崎市で使用されている「戸建てシェルター(災害復興支援ハウス)」の写真とリーフレット(国際プラスチックフェアーで使用) 平面図は意匠特許の関係で、後日、掲載いたします。今までとの大きな違いは、10㌧トラックに6戸積める最大限の大きさで、4人でくつろげるスペースを設けたこと、また、トイレは臭いの関係で屋外に設けました。床面積は約9.5㎡で、かなりゆとりができました。 2006国際プラスチックフェアー(幕張メッセにて)     2005新潟県中越地震(災害ボランティアの皆さんと) 支援ハウスの内部 支援ハウスのリーフレット [...]

15 04, 2011

東日本大震災被災高校生の精華学園高等学校への受入れについて(震災復興支援)4.14

2016-01-23T11:19:33+09:004月 15th, 2011|SEIJI Blog, 精華学園|

東日本大震災被災高校生の受入について、山口県庁記者室で記者会見を行いました。 この度の東日本大震災で被災されました多くの方々に心よりお見舞い申し上げます。さて、精華学園高等学校では、この未曾有の大震災に心を痛めると共に早い復興を願う次第です。精華学園高等学校も何か被災者の皆様方に支援する事は出来ないかと、種々考えてまいりました。当校の特色でもあります広域通信制・単位制を活かし、この度復興に向けた支援策を下記の内容を行うこととしました。何卒この趣旨をご理解いただき多くの方のご協力、ご支援をお願いする次第です。皆様方に少しでもお役に立てればという思いでの支援策です。よろしくお願い申し上げます。 A.東日本大震災被災高校生の受入内容精華学園高等学校として、本校を含め、現在全国で稼働している学習センターで被災された高校生を受け入れます。また、当校学習センターの無い地域については、提携校である「つくば開成高等学校」に協力をあおぎ「つくば開成高等学校」本校および学習センターでも受け入れを行います。 1. 学納金の減免次の学納金につきまして減免します。(授業料以外を全額免除)①入学検定料②施設設備費③教育運営費④教育充実費合計金額 126,000円現在、授業料につきましては、就学支援金が支給されております。しかし、授業料全額相当の支援金が支給されない場合がほとんどです。被災された高校生については、この支援金につきまして、授業料全額相当の加算支給がされるよう、県と協議し、国に要望を行っていきたいと思います。なお、教科書は無料となっています。また、通学定期につきましては、各種学生割引が適用されます。 [...]

30 03, 2011

山口県は安全な場所だからこそ、多くの被災者を受け入れる義務があります。

2011-03-30T22:20:45+09:003月 30th, 2011|SEIJI Blog, 東日本大震災|

中央防災会議は、東南海地震と南海地震が同時に発生した場合の被害を、死者18,000人、全壊36万棟、経済被害57兆円と予測しています。 今回の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は、中央防災会議の予測(M7.5)をはるかに超える甚大な被害を及ぼしました。しかし、中央防災会議の予測は、上記のように、西日本にも大きな不安を与えるデータを示しています。 仮に発生しても、山口県は津波を豊後水道が防いでくれます。巨大な津波が宇部市に届くときは、2~3メートル程度になります。地震については、菊川断層と岩国断層帯がありますが、比較的安全場所です。山口市にパラボナアンテナがあるのは、地盤が安定していて、静止衛星を捕らえやすいからです。秋芳洞は3億年前に海底が隆起し、数千万年のときを経て、美しい鍾乳洞となりました。巨大な地震がなかったという証でもあります。だからこそ、山口県は、できるだけ多くの被災者を受け入れる義務があります。 今、気になっているのは、経済への影響です。建設会社にはコンパネや木材、住宅機器が、設備会社には塩ビパイプや銅管、鋼管が、また仕出し屋さんには弁当の箱などが入手できない状況に陥っています。各種業界も同じ状況です。この状態が2.3ヶ月も続くと、震災による影響で、倒産する会社が続出する可能性があります。運転資金に対する公的な緊急支援が必要です。   

30 03, 2011

災害ボランティアを支援するため、宮城県石巻市に「支援ハウス」が設置されました。

2011-03-30T21:37:33+09:003月 30th, 2011|SEIJI Blog, 東日本大震災|

3月26日、宮城県石巻市の専修大学・第2駐車場に搬送設置された支援ハウス。3月24日午後5時に出発して、2日後、無事、設置されました。堀之内哲也君と酒井洋君の二人が4トントラックで1300㌔を運転しました。さずが、若さですね。支援ハウスはボランティアが解散されるまで使って頂きますが、3年くらいは設置しておく必要がありそうです。少しでも、お役に立てば有難いです。

27 03, 2011

災害用早期設置型組立て式シェルター(復興支援ハウス)を宮城県石巻市へ搬送

2011-03-27T09:05:44+09:003月 27th, 2011|東日本大震災|

2011年3月24日、午後5時、災害用早期設置型組立式シェルター(復興支援ハウス)2台を、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の津波で被災した宮城県石巻市に搬送するため、宇部市を出発しました。 ◆共同通信でも紹介していただいています。 共同通信47NEWSの記事は←こちら 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10日が過ぎ、今なお増え続ける犠牲者の数に心が痛む今日この頃です。 被災地では30万人を超える被災者が厳しい避難生活を強いられているなか、支援活動に奮闘しているボランティアが全国から被災地に入っています。 しかし、彼らの多くが雪の中で、テント生活を強いられているという現実もあります。そこで、すでに新潟県中越地震発生時に宇部から新潟県小千谷に搬送し、使用した実績のある災害用早期設置型組み立て式シェルター(復興支援ハウス)と、日立建設(株)が開発した組み立て式支援ハウスを急遽、宮城県石巻市内のある石巻市立湊小学校の校庭に搬送設置することになりました。組み立てた状態で、内部には支援物資を満載しました。 [...]

18 03, 2011

平成23年東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)への山口県の対応について

2011-03-18T19:42:23+09:003月 18th, 2011|東日本大震災|

山口県は地震災害について、日本一、安全な場所です。 だからこそ、それに甘んじてはいるわけにはいきません。 山口県は、日本一多くの被災者(疎開、移住)を受け入れる責務を担っています。 今、私達に出来る事を精一杯、一緒に取り組みませんか。 私の事務所や友人の倉庫には、多くの方々から寄せられた救援物資が山積みになっています。また、あるお年寄りからは、高額な義援金も託されました。 明日早朝、友人は支援物資を満載した大型トラックで、被災地に向かいます。 [...]

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