森と海の学校ブログ

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9 04, 2013

第22回子ども自然体験スクールin石垣島・竹富島 (3日目) 3.30

2013-04-09T17:39:01+09:004月 9th, 2013|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

3日目を迎えました。午前9時から人生設計図(ライフサイクルプラン)の作成を始め、昼食をはさんで、午後2時には、ほぼ全員書き上げることができました。見ていると、ワクワクする作品ばかりでした。午後2時からは、鍾乳洞までのハイキング。天候に恵まれ、片道3キロを楽しく歩きました。サトウキビやタバコの葉が畑に植えてありました。鍾乳洞ではスフトクリームをみんなで頂き、買い物をしました。午後8時30分から「ご両親からの手紙」による研修を行い、お父様、お母様、そしてご家族からの手紙を通して、子どもたちは目に涙しながら「自分にとって、親と何なのか」「どのような生き方をしなければならないのか」について学びました。研修前に私自身が単独太平洋横断を行ったとき、弁当箱に忍ばせてあった父母からの「がんばれ!母」「生きて帰れ!父」の手紙の話をしました。ライフサイクルプランを作成する。看護師の大山先生と小さな患者さん             「夢の実現に向かって頑張るぞ!」ハイキングで行った鍾乳洞でソフトクリームを頂きました。石垣島ならでのアイスクリームもありました。石垣青少年の家に届けられたご両親、ご家族からの手紙     スタッフに届けられた手紙懐中電灯の明かりに中で読む父母からの手紙    

31 03, 2013

第22回子ども自然体験スクールin石垣島・竹富島 (2日目)3.29

2013-03-31T21:06:52+09:003月 31st, 2013|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

2日目を迎えました。天気予報は「雨時々曇り」、午前3時には雷が鳴るほどの豪雨でした。しかし、天への祈りが通じたのか、天候に恵まれ、島内観光、魚釣り、海水浴など予定通りの活動ができました。子どもたちの行いが良かったのでしょうね。 唐人墓にて 八重山民族園の入り口でオリエンテーションリス猿にエサを与えると、肩に乗ってきました。 カビラ湾でのグラスボート。お魚がいっぱい見えました。マエサトビーチでの海水浴。風は少し冷たかったけど、楽しい海水浴でした。サザンゲートブリッジのそばで魚釣りをしました。釣れた魚は、野外炊飯のときに煮つけにします。本部長講話では「可能性への挑戦」と題してお話をしました。子どもたちの真剣な眼差しに1時間10分も話してしまいました。

29 03, 2013

第22回子ども自然体験スクールin石垣島・竹富島(1日目3.28) 2日目以降は「森と海の学校」「ブログ」に掲載。

2016-01-23T11:21:49+09:003月 29th, 2013|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

いよいよ第22回子ども自然体験スクールが始まりました。平成4年から始まった事業ですが、「団員として参加した子どもたちが学生スタッフに憧れ、高校生、大学生になってスタッフとして活躍する」ことで、22年間継続されてきました。最近は、団員として参加した子どもたちの子どもが参加するようになり、歴史を感じますね。3月17日、宇部市男女共同参画センターで開催された事前研修には、団員と保護者350名が集まり、2時間の研修を行いました。 看護師の大山さんです。              主席指導員の河内友佳さんです、事前研修では、仲間づくりとボーイズビーアンビシャスの暗唱を練習しました。 研修会では、子どもたちの笑顔に、スクールへの期待と喜びを強く感じました。研修中の事故と病気に配慮し、素晴らしい研修旅行にしたいとスタッフ一同で誓いました。今回は、昨年亡くなられた団長の赤川信恒先生への思いを込めて、私にとっても有意義な旅にしたいと思います。 今日から6泊7日の研修が始まりました。参加者は団員154名とスタッフ25名の合計179名。早朝、午前7時に新山口駅前、宇部市役所、新下関駅前に元気よく集合。簡単な出発式を行ったあと、バス4台で一路、福岡空港に向かいました。 宇部市役所での受付簡単な出発式を行い、ご家族の皆さんに出発の挨拶をしました。(宇部市役所の玄関前)予定通り10時、福岡空港に到着。搭乗口待合室で昼食。楽しい待ち時間でした。ジンベイサメの絵の描かれた飛行機に乗りました。雲海の下は、沖縄です。             午後4時、新石垣空港に無事、到着しました。新石垣空港から石垣青少年の家へのバスで移動、約30分。     夜は江藤団長の講話を聞きました。深夜のスタッフ会議。「どうすれば、全団員に有意義で、楽しい思い出を作れるのか。」再度、意識の統一を確認しました。主席指導員の河内友佳さんは、真剣そのものです。「役割が立派さを育てる」ですね。

30 12, 2012

「第22回子ども自然体験スクールin石垣島・竹富島」のご案内

2017-02-07T16:17:12+09:0012月 30th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

家庭教育等PTA活動促進・環境教育事業 第22回子ども自然体験スクールin石垣島・竹富島:実施についてのお願い 東日本大震災への支援活動のため中断していた体験教育活動を再開することになり、このたび、山口県教育委員会、山口県PTA連合会をはじめ多くの団体のご後援ならびにご協力を頂き実施させて頂くことになりました。 つきましては、ご多忙中のところ、誠に恐縮に存じますが、参加者の募集のため、広くご紹介下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。 マエサトビーチでの海水浴(後方はANAホテル:宿泊場所ではありません) 石垣カレーを作っています。                  クラフトづくりで作ったシーサー [...]

26 11, 2012

友人の栗城史多君がエベレスト登頂を断念11.26

2016-01-23T11:23:17+09:0011月 26th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

友人の栗城史多君が8月26日、日本を出発し、10月上旬を目標に秋季エベレスト西稜・無酸素単独登頂に挑戦していました。しかし、10月18 日、7500m付近で暴風のため断念し10月20日下山し、10月21日、重度の凍傷を負っていることから、カトマンズの病院に収容されました。彼にとっては4度目の挑戦だが、エベレストは今回も受け入れませんでした。しかも、両手両足の指、そして鼻に受けた凍傷がひどく、左手の親指と数本の指は切断しなければならない状況らしい。厳しい冒険を自ら求めた結果だけに、過酷な結果も受け入れるしかないが、彼は無事に生きて帰ってきた。それだけで、素晴らしい。 カトマンズに入院中の栗城君(ブログより) さて、インターネット上では、栗城君に対する誹謗中傷が多く見受けられます。パソコンの画面だけを見て批判する前に、現場にいる当人の厳しい現実をしっかり考えてほしいものです。冒険の厳しさは、現実に死と隣り合わせに生きていることを実感した人でなければ、理解できないのかもしれません。「冒険は、まず生きて帰る事。それを成し遂げただけで賞賛に値する」私は彼を応援し続けたいと思っています。「青春とは自己の可能性に挑戦してみようとする冒険心。夢を実現するために大切なことは、第一歩を踏み出す小さな勇気。」私が25歳のとき、「NHK青年の主張」で述べた言葉です。青春を生きる彼の勇気と行動に、敬意を表したいと思います。 冒険家として、栗城君にとって「エベレスト無酸素単独登頂」は、最後の挑戦と考えているのでしょうか。いつまでも山岳冒険家であり続けることは、年齢的にも社会的にも難しい限界があり、「いつ引退するか」という難しい選択をいずれしなければならないときが、いずれ来ると思います。私は23歳のとき、手作りヨットによる単独太平洋横断に挑戦しましたが、一度の挑戦で海洋冒険家としての活動を終えました。その後、建築家、教育者、地方政治家へと舞台を変えて、私なりの挑戦し続けてきたつもりです。冒険は、山や海だけが舞台ではありません。見方を変えれば、海や山の厳しい自然よりも、社会の荒波の方が高いようにも感じます。そう思えば、誰もが冒険家です。  私も実は、26歳のとき、再び新たな冒険に挑戦しようと考えました。当時、相談した森村桂(「天国に一番近い島」の著者)さんから「岡村さんは1回でいいじゃないの。2度目をやってしまうと、堀江謙一さんや植村直己さんのようになってしまうよ。1回でいいのよ。」と、またヨットの設計家で、堀江謙一さんのマーメイド号を設計した横山晃先生からは「ヨットは趣味にしなさい。まず、生活基盤を作り、趣味としてヨットのデザインをしなさい。ヨットで生計を立てることはアメリカでも難しい。これからも、冒険の機会は訪れる。」と諭され、私は建設会社に就職し、建築家を目指しました。 それでも、海への冒険の夢をなかなか捨て切れず、28歳の頃、単独太平洋横断や単独世界一周のためのヨットやボートの図面を書き、材料まで購入しましたが、次の第一歩を踏み出す自分自身への大義を見出すことができませんでした。冒険を実行に移すには、命を懸ける自分自身への強い意欲と大義名分が必要ですが、その域まで達することができませんでした。今も図面は、事務所の私の部屋に飾ってあり、「いずれ必ず」と、夢を未だ追っている自分がいます。 [...]

26 08, 2012

9月22日、「ヒトの教育の会」会長の井口潔先生講演会のご案内

2012-08-26T12:46:04+09:008月 26th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

井口先生の講演冒頭の言葉、志の大きさに感銘し、講演会を企画いたしました。 91歳、井口先生のお言葉です。「私は長年、医療という仕事に携わり、研究成果や治療によって、多少なりとも社会に貢献したかもしれない。しかし、私は自分の人生を後悔している。もっと早く、医学的立場、特に脳細胞の研究という分野から、霊長類ヒト科の動物であるヒトを人間にまで育てる教育が、いかに大切であるかということを社会に訴えていれば、青少年の育成に大きな貢献ができていたと思う。私に残された時間は、そう長くないのです。だから、脳の成長に対応した教育の大切さを、皆さんが伝えてほしい」 教育論はもちろんですが、先生の生き方、考え方が、自分自身を見直す素晴らしい機会となりました。 井口潔講演会のご案内 子育てとは一体なに?分かっているようで、分かっていないのではないですか。医学者の目からみると、霊長類ヒト科の動物「ヒト」として生まれた赤ん坊を10年かけて人間にして、その人間をあと10年かけて社会人にするのが、子育て・教育です。「ヒトを人間にするための脳の育て方」を学びましょう。91歳になる井口名誉教授の話は目から鱗です。ぜひ、ご聴講下さいますよう、ご案内申し上げます。 《《井口潔講演会の案内パンフレット PDFファイル》》 [...]

8 03, 2012

親友の赤川信恒先生(淨名寺住職)がご逝去されました。6.2

2012-03-08T09:01:19+09:003月 8th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

30年来の親友で、ジュニア洋上スクールには毎回の団長を務めて頂いている赤川さんが59歳で急逝されました。私のキャンプの師であり、先生のおかげで、21回に及ぶのジュニア洋上スクールを続けることもできました。とても残念です。6月2日午前10時、厚南にある「ゆめタウン」そばのセルフのガソリンスタンドで倒れました。脳幹出血だったそうです。救急車で労災病院に運ばれましたが、午後3時に亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。 ジュニア洋上スクールで、子どもたちを相手にレクリエーションゲームをする赤川先生です。沖縄県渡嘉敷島の「集団自決」慰霊碑の前で「命」と題した講演をする赤川先生  

6 01, 2012

卒塾生同士の結婚式、まるで同窓会でした。私と妻は「育て親」の一人ですね。

2012-01-06T14:10:45+09:001月 6th, 2012|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

「おかむら塾」(現在は第一学院)を開校したのは昭和59年、27年前です。前年に、私は一級建築士の資格を取得し、これから建築設計事務所を開設しようと準備をしていました。ところが、突然、ヨットの大先輩である戸塚宏さんの「ヨットスクール事件」が起きました。戸塚さんの事件は、金属バットで父親を殺す事件が起こるなど、青少年問題が多発している時期だっただけに、衝撃的でした。青少年活動に興味を持ち、レクリエーション指導者として活動していて、「最近の子どもたちは体験教育が足りていない」と感じていた時期だけに、天命を聴いたような気がして「体験教育を取り入れた学習塾を開校しよう」と思い立ちました。以来、塾では勉強を教えるかたわら、ヨット教室やキャンプ、40キロナイトハイク、ジュニア洋上スクールなどを行ってきました。特に、NPO法人「森と海の学校」を開校してからは、卒塾生が毎日のように塾に来るようになり、「同じ釜の飯を食う」そんな付き合いが始まり、塾生同士の繋がりも深くなったようです。初めての塾生同士の結婚は、西村剛くんと飯田倫子さん。 さて、岡村正徳くんと土生あづささんが結婚しました。幸せそうな「あづさ」の笑顔が印象的でした。 2人とも卒塾生で、キャンプやジュニア洋上スクールの主要スタッフです。何となく付き合っているのは、知っていました。昨年4月、2人が事務所に来て、正徳くんが「ぼくたち、結婚することになりました」と切り出しました。私は、彼が帰るまで不機嫌な顔を通しました。間違いなく、これは嫉妬心ですね。大好きな「あづさ」を取られたという父親が持つような妬みです。しかし、よく考えてみれば、正徳くんも大切な息子のような存在、しかも同姓、「嫁をもらった」と思えばいいか、と納得しました。 結婚式は山口市の「ララマリー」で行われましたが、いい結婚式でした。まるで卒塾生の同窓会。ララマリーの庭、いい結婚式を演出して下さいました。   卒塾生の女の子に頭を撫でられて               キャンプ仲間ですね。卒塾生のお姉さん3人組みです。       息子の海志が友人代表挨拶。彼は塾生に育てられたような気がします。 「塾を、体験教育をやってて良かった」と心から感じた幸せな一日でした。みんな立派に育ってくれました。縁は人生の宝です。卒塾生だけで記念写真を撮りました。強い強い絆です。 

3 01, 2012

3月実施予定の「ジュニア洋上スクール」は中止いたします。

2012-01-03T16:37:34+09:001月 3rd, 2012|森と海の学校ブログ|

平成24年3月実施予定のジュニア洋上スクールは、沖縄の研修施設の都合により、残念ながら中止せざる得なくなりました。 12月、沖縄の研修施設から電話があり、 「福島県の子どもたちを優先して250名引き受けなければならなくなったので、キャンセルしてほしい。」との要請がありました。パンフレットを印刷する直前だったので、苦慮しましたが、事情が事情だけにしかたなく先日、受諾しました。年末まで石垣島も検討し、施設と調整しましたが、石垣島の施設も指定管理者への移行により4月上旬の使用が難しいとのことです。心待ちにされているかたも多いことから、何とかと苦慮しています。実は、私自身も震災の関係で、忙しい日々を過ごしているため、スタッフと話し合いを行い、新年に入って、今春の中止を決めました。申し訳ありません。昨年の春のジュニア洋上スクール」は選挙のために休止、夏こそはと思っていた「子ども自然体験キャンプ」も東日本大震災のため、中止せざる得なくなりました。まさか、今年の春まで影響するとは思いませんでした。夏のキャンプは27年目でついに途切れてしました。我慢ですね。

12 06, 2011

卒塾生の寺戸君、キャンプスタッフの松永さん、中山君がそれぞれ結婚しました。

2011-06-12T09:51:36+09:006月 12th, 2011|SEIJI Blog, 森と海の学校ブログ|

卒塾生の寺戸君がソルポニエンテで、そして、「森と海の学校」のスタッフである松永さんは赤間神宮で結婚式を挙げました。また、恩師の中山靖雄先生のご子息であり、「森と海の学校」のスタッフの中山雅貴君が新婚旅行中に我が家を訪ねてきてくれました。秋には、岡村正徳くんと土生あづささんの結婚式があります。共に卒塾生であり、「森と海の学校」のスタッフです。長年、子どもたちと関わってきて良かったと心から感じています。 寺戸太郎君は昭和62年、小学5年生のときに入塾しました。夏の4泊5日のキャンプは福岡県篠栗で行いましたが、5日連続大雨で、もっとも辛いキャンプを経験しています。また、翌年のキャンプは秋吉台少年自然の家まで、往復100㌔をサイクリングしました。中学3年生の夏休みは、ヨットで萩の見島までクルージング。私が一番、野外活動に燃えていた頃の塾生です。9月には小太郎君が誕生予定です。(山陽小野田市のソルポニエンテにて) 松永さんは、中国へのジュニア洋上スクールに団員として参加して以来のお付き合いです。非常に低学年に優しく、世話好きな優秀な子でしたから、翌年から10年以上もキャンプやジュニア洋上スクールのスタッフとして活躍してくれました。(下関市の赤間神宮で結婚式、披露宴は春帆楼で行われました) 中山雅貴君は、生まれた頃からのお付き合い。お父さんは、私の人生の師である中山靖雄先生。今、福祉施設の職員として、働いています。「新婚旅行は山口県、私の家まで来ること」北九州まで足を伸ばし、関門海峡は地下道を歩いて渡ったそうです。(小倉リーガロイヤルホテルにて)

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