TAGs

宮城県石巻市災害ボランティア・ツアー参加者募集のお知らせ

Updata 2011年 9月6日

9月24日から29日までの日程で、宮城県石巻市への災害ボランティア・ツアーを開催します。
参加募集定員は10名。
ぜひ、ご参加下さいますようご案内申し上げます。
往路の交通費(新幹線)は、修養団宇部市連合会が負担します。
財団法人「修養団」とは文部科学省所管の団体で、日本最初の社会教育団体です。
(宗教、政治団体ではありません)

さて、暑い毎日が続きましたが、ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。
それにしても、台風12号の被害は、甚大ですね。死者・行方不明者は100名を越えそうです。
さらに、これから北海道の豪雨も心配です。
日本列島全体に災害による被害が連続的に起こっている事態は、
日本人への自然界からの何らかのメッセージなのかもしれませんね。
「豊かの繁栄に満ち溢れている日本。自然を神とし、畏敬の心をもって生きてきた精神文化の崩壊へ警告なのでしょうか」
3月11日に発生した東日本大震災から6カ月が過ぎようとしていますが、未だに多くの被災者が避難所で生活し、また、瓦礫の片付けが、手つかずの被災地も多くあります。
宇部市連合会として、6月の総会で協議いたしました被災地での支援活動を下記の日程で計画いたしました。
今回は災害ボランティアのNPO法人「オン・ザ・ロード」が受け入れ先となり、
その拠点基地(テント村)である宮城県大崎市に行き、そこをベースに石巻市等で支援活動を行います。

日時 平成23年9月24日(土)~29日(木) (5泊6日)

24日(土)  08:00宇部駅集合―新山口駅(新幹線)仙台駅-大崎市16:00着
25日(日) 「災害ボランティア活動」(石巻市または女川市)
26日(月) 「災害ボランティア活動」(石巻市または女川市)
27日(火)  津波による被災地視察(三陸海岸)
28日(水)  09:00テント村出発-バス移動-17:00(北陸の「名湯」泊)
29日(木)  09:00旅館出発-バス移動-17:00宇部帰着

※ ボランティアの内容は、体力に応じて配慮しますので、お気軽にご参加下さい。
※ 現地での宿泊:テント村の併設した温泉宿、またはテント泊。

参加費用 約40,000円(宿泊費、食事代など実費負担金:交通費の一部を助成いたします)
募集定員 10名

お申込み・お問合せ
修養団宇部市連合会事務局まで 
TEL 41-5435(担当:加藤)FAX 44-4423

〈実施要綱の詳細 PDFファイル〉

登録カテゴリー: ブログ, 東日本大震災

改良型の新「支援ハウス」の製作を始めました。6月末完成予定です。

Updata 2011年 6月13日

被災地からの要請もあり、災害用早期設置型組立て式「戸建てシェルター(災害復興支援ハウス)」の新バージョンを製作し、試験的に被災地で使用して頂くことにしました。
現在、宮城県大崎市で災害ボランティアの支援として使われている「支援ハウス」は、2005年10月に自作したFRP製です。
2005年の新潟県中越地震では、新潟県小千谷市体育館の近くで、冬季1か月間、災害ボランティアの支援に使用されました。
また、2006年に開催された「国際プラスチックフェアー」では特別招待作品として、会場の千葉県「幕張メッセ」の玄関に展示されています。
すでに、試作して6年間が過ぎましたが、今も支障なく使われており、再使用が可能であることが実証されています。
既存の仮設住宅の建設・解体費用は、一棟あたり500万円も掛かり、しかも、再使用されることなく廃棄処分されています。
支援ハウスは再使用が可能で、費用と環境面からも有効だと思われます。
今まで使用された皆さんから、多くの改良点や意見を頂いており、阪神・淡路大震災以来、15年間、災害対策に関わってきた集大成になればと思っています。

現在、宮城県大崎市で使用されている「戸建てシェルター(災害復興支援ハウス)」の写真とリーフレット(国際プラスチックフェアーで使用)

平面図は意匠特許の関係で、後日、掲載いたします。
今までとの大きな違いは、10㌧トラックに6戸積める最大限の大きさで、4人でくつろげるスペースを設けたこと、また、トイレは臭いの関係で屋外に設けました。
床面積は約9.5㎡で、かなりゆとりができました。

2006国際プラスチックフェアー(幕張メッセにて)     2005新潟県中越地震(災害ボランティアの皆さんと)

支援ハウスの内部


支援ハウスのリーフレット

新規「支援ハウス」の製作は、岡村工務店の作業場で行われています。
大工さんをしている兄が、大工仕事を請けてくれました。

宇部市厚東区棚井にある兄の作業場(6月10日)

床内部には25ミリのスタイロフォームと断熱シートが入っています。

天井部分の骨組みです。天井には太陽電池が設置されます。小さな開口部は天窓です。(6月13日)

登録カテゴリー: ブログ, 東日本大震災

宮城県石巻市と女川町で活躍するボランティアの支援に行ってきました。

Updata 2011年 5月8日

2011年4月25日から30日まで、
東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市と女川町に行ってきました。

石巻市へは、北陸道で新潟・磐梯・郡山・仙台経由で片道15時間掛かりました。それにしても、片道1300キロは遠いですね。燃料代は往復5万円。高速料金は往復5万円(災害支援の場合は無料、市役所で手続きできます)です。

目的は民間のボラティア団体(NPO法人「オン・ザ・ロード」のお手伝いと、3月24日、石巻市に支援ハウスを運んだ4トントラックを山口県に持って帰ることが目的です。
1ヶ月間、瓦礫の撤去に大活躍したそうです。支援ハウスは石巻市社会福祉協議会ボランティアセンターで活躍していました。テントに泊まっているボランティアの救護用です。

現在、現地でほしいものは、物品より人手ですね。家財道具、土砂の除去、これは人海戦術以外にありません。
支援物資は行き届いていないところも、多少あるようですが、まずまずだと感じました。
情報が錯綜していますが、現地はまずまずの状況。報道やコメンテーターの意見は、あまり当てにできませんね。

社会福祉協議会のボランティアセンターより、民間のNPO法人のほうが、動きが軽快で対応もスムーズでした。
私が関わっている『NPO法人オンザロード』もその一つです。みんなテント持参で頑張っています。

左:宮城県女川市の津波被害(町そのものが消失した)。
中:横倒しになった建物の基礎は、なぜか建物の真下です。
津波で押し戻された?
右:地盤沈下により浸水した工場の敷地(石巻市内)

左:宮城県女川市の津波被害(4階の屋上に自動車が乗っている)
中:瓦礫の撤去に活躍するボランティア
右:石巻市湊小学校で行われた入学式


宮城県石巻市社会福祉協議会災害ボランティアセンターに設置された
災害用支援ハウスの試作品(石巻専修大学構内)

ボランティアの救護施設として使用されていました。
(たびたび、テレビに映っています)


左:宇部市に疎開した女の子が、福島県で働いているお父さんのために描いた絵
右:大崎市の温泉施設に移動した災害ボランティア団体(NPO法人「オン・ザ・ロード」)の
救護所として
使用するため移動された支援ハウス

左:大崎市の温泉施設に設置された支援ハウス。
後方はボランティアのテント村
右:女川市立第一女川小学校のグランドに設置された

災害ボランティアの活動

みんな最高の笑顔です。
「人様のお役に立っている」「喜んで頂く喜び」を知った若者たちの笑顔ですね。

左:大活躍していた4㌧ユニック
中:外国人と一緒に活動するボランティア
右:朝8時、弁当を手にテント村を出発するボランティア


左・中:他団体が残していった仮設の風呂を管理する若者たち
右:「何かやらせてください」と書かれたジャケットの背中

左:必要なのは手数。(ぜひ、ご参加ください)

中:1日の作業が終わり、夕食を採るボランティア
右:夜のスタッフ、ボランティアの「ミーティング」

左:とびっきり素敵な笑顔に会えました。
右:今時の若者たちは素晴らしいです。
女川市立第一女川小学校での「炊き出し」

朝8時から夜6時まで、要望のある家を回っての片づけ作業を行うボランティア

左:ハイエースのロングワゴン、6名で行ってきました。
(田辺満彦、三好彰、西本光則、緒方誠、清水義政、岡村精二)
右:休暇を取って参加した緒方さん(グレーのジャケット)は、朝8時から夜8時まで、瓦礫の撤去作業のボランティアに参加、感動した様子でした。

登録カテゴリー: ブログ, 東日本大震災

災害ボランティアを支援するため、宮城県石巻市に「支援ハウス」が設置されました。

Updata 2011年 3月30日

3月26日、宮城県石巻市の専修大学・第2駐車場に搬送設置された支援ハウス。
3月24日午後5時に出発して、2日後、無事、設置されました。
堀之内哲也君と酒井洋君の二人が4トントラックで1300㌔を運転しました。
さずが、若さですね。
支援ハウスはボランティアが解散されるまで使って頂きますが、3年くらいは設置しておく必要がありそうです。
少しでも、お役に立てば有難いです。

登録カテゴリー: ブログ, 東日本大震災

災害用早期設置型組立て式シェルター(復興支援ハウス)を宮城県石巻市へ搬送

Updata 2011年 3月27日

2011年3月24日、午後5時、災害用早期設置型組立式シェルター(復興支援ハウス)2台を、
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の津波で被災した宮城県石巻市に搬送するため、宇部市を出発しました。

◆共同通信でも紹介していただいています。
共同通信47NEWSの記事は←こちら

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10日が過ぎ、今なお増え続ける犠牲者の数に心が痛む今日この頃です。
被災地では30万人を超える被災者が厳しい避難生活を強いられているなか、支援活動に奮闘しているボランティアが全国から被災地に入っています。

しかし、彼らの多くが雪の中で、テント生活を強いられているという現実もあります。そこで、すでに新潟県中越地震発生時に宇部から新潟県小千谷に搬送し、使用した実績のある災害用早期設置型組み立て式シェルター(復興支援ハウス)と、日立建設(株)が開発した組み立て式支援ハウスを急遽、宮城県石巻市内のある石巻市立湊小学校の校庭に搬送設置することになりました。組み立てた状態で、内部には支援物資を満載しました。

石巻市では、すでにNPO法人「メイク・ザ・ヘブン」の会員など約100人が災害支援のために集結中であり、災害ボランティアの活動拠点として、また休憩・居住施設として使用します。
今回、搬送するのは強化プラスチック製と軽量鉄骨鋼板製の2台です。
共に、大震災を想定し短期間で搬送設置可能な構造となっています。

2台のクレーン付トラックで搬送し、1台は搬送後も被災地に留まり支援活動に使います。
なお、1台には幼稚園児と小学校低学年の子どもたちが、被災地への願いをこめて、絵で描きました。
なお、搬送経費などは寄付金(100万円)で捻出しています。

【写真上左】2戸のうち、左側は日立建設㈱が開発した軽量鉄骨鋼板製の支援ハウス、右側が私の支援ハウスで強化プラスチック製です。
【写真上右】発送準備をお世話いただいた皆さんとの記念写真。
左の2人が石巻市まで1300キロを運転する堀之内君と酒井君
【写真下】日立建設㈱の駐車場を出発する2台のトラック。(1台はリースで1ヶ月借りました。搬送後、支援活動に使われます。)

災害用早期設置型組立て式シェルター(復興支援ハウス)は新潟県中越地震(平成16年)のとき、小千谷市で災害ボランティア支援のために実際に使用した私の試作品です。
少しでもお役に立てればと思っています。
(私は選挙があるので、お見送りまでです。あとは、堀之内哲也君らに託しました)
3月26日11時、石巻市内の専修大学第2駐車場に到着、夕方には設置を完了したとの連絡がありました。

【支援ハウスを石巻市へ搬送するまでの経緯】

A.総務副大臣の平岡秀夫先生にお会いしました。
3月17日、民主党の参議院議員である藤谷光信先生(岩国市出身)からお電話を頂き、急遽上京し、参議院議員会館で、藤谷先生と、同じく参議院議員の大島九州男先生にお会いしました。
私の復興支援ハウスについて協議しました。
その後、藤谷先生と総務省に行き、衆議院委員議員で総務副大臣の平岡秀夫先生にお会いしました。
平岡副大臣は、相当お疲れの様子で、目を赤くされていました。
「今、災害用支援ハウスがあれば、役に立つのだが・・・」という思いが共通の認識でした。
「支援ハウスは備蓄されていて、初めて、早期設置という本来の目的を達成できるものであり、今から大手企業が取り組んでも、量産体制は難しく、設置が2.3ヶ月後では、復興支援ハウスの本来の目的が半減してしまいます」とお話させて頂きました。

B.「試作品だけでも今回の被災地で活用できれば、「備蓄」という考え方が政府にも芽生えるのではないか、一つの実績づくりにもなるのではないか、何より今なら、絶対に役立つはず」
との思いから、帰宅後、阪神淡路大震災のあと、最初に支援ハウスに取り組んで下さった日立化成工業㈱の部長だった高瀬さんに電話しました。
すると、15年たった今も、4台の試作品は守衛室や管理事務所、休憩室として立派に使われているとのこと。
また、4年前に組立て方式の復興支援ハウスを開発した地元、宇部市の日立建設㈱の田上社長さんに電話すると、3台の試作品は建設現場の事務所や休憩室として、今、使われているとのことでした。
被災者のことを考えると、すぐにでも持って行きたいのですが、選挙直前の身の上で、動けないだけに、イライラしていると、突然、友人の堀之内さんから電話が掛かってきました。

C.堀之内哲也さんからの電話
3 月20日、突然、京都在住の書家で、精華学園高等学校の看板文字を書いて下さった堀之内哲也さんから、「先生の復興支援ハウスを貸してください。宮城県石巻市に100名の災害ボランティアが集結するので、活動拠点の基地にしたいのですが、いかがでしょうか」と電話がありました。
私の支援ハウスは試作品で、平成16年新潟県中越地震で使った実績もあり、「いいですよ」と応えたものの、一台では物足りません。しかも、搬送すれば、トラックのリース料など、1台につき、50万円程度は掛かります。
しばらくして、再度、堀之内さんから「22日に伺います」との電話、相手かまずの態度です。
(私は選挙の準備中です)

D.資金提供の電話
私の試作品は、何年も野ざらしで置いた状態で、日立化成工業㈱の試作品は、茨城県内です。
日立建設㈱にお伺いしてお願いすると、社長が即座に「協力する」と言ってくださり、トラックも1台提供して頂けることになりました。
あとは、私の復興支援ハウスの整備と運送用のトラック1台、そして何より運送資金です。
トラックのリース料、高速料金、燃料代、フリーター諸君の食事代など、結構掛かりそうです。
選挙前でなければ、何とかしますが、私もぎりぎりの状態。
さて、どうしようかと思っていると、突然、また電話が掛かりました。
あるお年寄りからの電話で「実は大震災に寄付をしたいと思うのですが、岡村さんなら災害対策に詳しいので、有効に使って頂けると思って電話しました。いかがですか。」とのこと。
びっくりですね。
私は、即座に「頂けませんか。必ず、有効に使わせて頂きます」とお返事しました。
ご自宅にお伺いして、さらにびっくりしました。
寄付金額は100万円でした。
2台搬送設置しても、十分運営できる金額です。
振り返ってみると、今まで、何度も同じようなことを経験しています。
「一生懸命は美しい」「念ずれば、花ひらく」ですね。

E.搬送準備
復興支援ハウスが保管してある駐車場で、内外の掃除をすることから始めました。
きれいになった壁面に、妻が「子どもたちに絵を描いてもらおう」と言い出し、卒塾生の子どもたちに声を掛けました。
子どもたちの中には、お父さんを福島県に残して、避難してきた子どももおり、「お父さん頑張れ」と描きました。

写真上:青いヨットは昭和52年、私が太平洋単独横断に使用したシンシア3世号(全長6m)です。
狭い船内に5ヶ月間、一人で生活していました。きれいな状態で保存されています。


写真上:復興支援ハウスに絵を描く子どもたち


写真上:4トントラックに積み込まれた復興支援ハウス(2度目のご奉公です)


写真上左:復興支援ハウスを搬送設置するために、100万円のご寄付をしてくださった三浦さんご夫妻です。本当に有難いことですね。
写真上右:トラックを運転するために大阪から駆けつけて下さった酒井さん。

東日本大震災
登録カテゴリー: トピックス, 東日本大震災