災害用早期設置型組立て式シェルター(復興支援ハウス)を宮城県石巻市へ搬送

Updata 2011年 3月27日

2011年3月24日、午後5時、災害用早期設置型組立式シェルター(復興支援ハウス)2台を、
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の津波で被災した宮城県石巻市に搬送するため、宇部市を出発しました。

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東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から10日が過ぎ、今なお増え続ける犠牲者の数に心が痛む今日この頃です。
被災地では30万人を超える被災者が厳しい避難生活を強いられているなか、支援活動に奮闘しているボランティアが全国から被災地に入っています。

しかし、彼らの多くが雪の中で、テント生活を強いられているという現実もあります。そこで、すでに新潟県中越地震発生時に宇部から新潟県小千谷に搬送し、使用した実績のある災害用早期設置型組み立て式シェルター(復興支援ハウス)と、日立建設(株)が開発した組み立て式支援ハウスを急遽、宮城県石巻市内のある石巻市立湊小学校の校庭に搬送設置することになりました。組み立てた状態で、内部には支援物資を満載しました。

石巻市では、すでにNPO法人「メイク・ザ・ヘブン」の会員など約100人が災害支援のために集結中であり、災害ボランティアの活動拠点として、また休憩・居住施設として使用します。
今回、搬送するのは強化プラスチック製と軽量鉄骨鋼板製の2台です。
共に、大震災を想定し短期間で搬送設置可能な構造となっています。

2台のクレーン付トラックで搬送し、1台は搬送後も被災地に留まり支援活動に使います。
なお、1台には幼稚園児と小学校低学年の子どもたちが、被災地への願いをこめて、絵で描きました。
なお、搬送経費などは寄付金(100万円)で捻出しています。

【写真上左】2戸のうち、左側は日立建設㈱が開発した軽量鉄骨鋼板製の支援ハウス、右側が私の支援ハウスで強化プラスチック製です。
【写真上右】発送準備をお世話いただいた皆さんとの記念写真。
左の2人が石巻市まで1300キロを運転する堀之内君と酒井君
【写真下】日立建設㈱の駐車場を出発する2台のトラック。(1台はリースで1ヶ月借りました。搬送後、支援活動に使われます。)

災害用早期設置型組立て式シェルター(復興支援ハウス)は新潟県中越地震(平成16年)のとき、小千谷市で災害ボランティア支援のために実際に使用した私の試作品です。
少しでもお役に立てればと思っています。
(私は選挙があるので、お見送りまでです。あとは、堀之内哲也君らに託しました)
3月26日11時、石巻市内の専修大学第2駐車場に到着、夕方には設置を完了したとの連絡がありました。

【支援ハウスを石巻市へ搬送するまでの経緯】

A.総務副大臣の平岡秀夫先生にお会いしました。
3月17日、民主党の参議院議員である藤谷光信先生(岩国市出身)からお電話を頂き、急遽上京し、参議院議員会館で、藤谷先生と、同じく参議院議員の大島九州男先生にお会いしました。
私の復興支援ハウスについて協議しました。
その後、藤谷先生と総務省に行き、衆議院委員議員で総務副大臣の平岡秀夫先生にお会いしました。
平岡副大臣は、相当お疲れの様子で、目を赤くされていました。
「今、災害用支援ハウスがあれば、役に立つのだが・・・」という思いが共通の認識でした。
「支援ハウスは備蓄されていて、初めて、早期設置という本来の目的を達成できるものであり、今から大手企業が取り組んでも、量産体制は難しく、設置が2.3ヶ月後では、復興支援ハウスの本来の目的が半減してしまいます」とお話させて頂きました。

B.「試作品だけでも今回の被災地で活用できれば、「備蓄」という考え方が政府にも芽生えるのではないか、一つの実績づくりにもなるのではないか、何より今なら、絶対に役立つはず」
との思いから、帰宅後、阪神淡路大震災のあと、最初に支援ハウスに取り組んで下さった日立化成工業㈱の部長だった高瀬さんに電話しました。
すると、15年たった今も、4台の試作品は守衛室や管理事務所、休憩室として立派に使われているとのこと。
また、4年前に組立て方式の復興支援ハウスを開発した地元、宇部市の日立建設㈱の田上社長さんに電話すると、3台の試作品は建設現場の事務所や休憩室として、今、使われているとのことでした。
被災者のことを考えると、すぐにでも持って行きたいのですが、選挙直前の身の上で、動けないだけに、イライラしていると、突然、友人の堀之内さんから電話が掛かってきました。

C.堀之内哲也さんからの電話
3 月20日、突然、京都在住の書家で、精華学園高等学校の看板文字を書いて下さった堀之内哲也さんから、「先生の復興支援ハウスを貸してください。宮城県石巻市に100名の災害ボランティアが集結するので、活動拠点の基地にしたいのですが、いかがでしょうか」と電話がありました。
私の支援ハウスは試作品で、平成16年新潟県中越地震で使った実績もあり、「いいですよ」と応えたものの、一台では物足りません。しかも、搬送すれば、トラックのリース料など、1台につき、50万円程度は掛かります。
しばらくして、再度、堀之内さんから「22日に伺います」との電話、相手かまずの態度です。
(私は選挙の準備中です)

D.資金提供の電話
私の試作品は、何年も野ざらしで置いた状態で、日立化成工業㈱の試作品は、茨城県内です。
日立建設㈱にお伺いしてお願いすると、社長が即座に「協力する」と言ってくださり、トラックも1台提供して頂けることになりました。
あとは、私の復興支援ハウスの整備と運送用のトラック1台、そして何より運送資金です。
トラックのリース料、高速料金、燃料代、フリーター諸君の食事代など、結構掛かりそうです。
選挙前でなければ、何とかしますが、私もぎりぎりの状態。
さて、どうしようかと思っていると、突然、また電話が掛かりました。
あるお年寄りからの電話で「実は大震災に寄付をしたいと思うのですが、岡村さんなら災害対策に詳しいので、有効に使って頂けると思って電話しました。いかがですか。」とのこと。
びっくりですね。
私は、即座に「頂けませんか。必ず、有効に使わせて頂きます」とお返事しました。
ご自宅にお伺いして、さらにびっくりしました。
寄付金額は100万円でした。
2台搬送設置しても、十分運営できる金額です。
振り返ってみると、今まで、何度も同じようなことを経験しています。
「一生懸命は美しい」「念ずれば、花ひらく」ですね。

E.搬送準備
復興支援ハウスが保管してある駐車場で、内外の掃除をすることから始めました。
きれいになった壁面に、妻が「子どもたちに絵を描いてもらおう」と言い出し、卒塾生の子どもたちに声を掛けました。
子どもたちの中には、お父さんを福島県に残して、避難してきた子どももおり、「お父さん頑張れ」と描きました。

写真上:青いヨットは昭和52年、私が太平洋単独横断に使用したシンシア3世号(全長6m)です。
狭い船内に5ヶ月間、一人で生活していました。きれいな状態で保存されています。


写真上:復興支援ハウスに絵を描く子どもたち


写真上:4トントラックに積み込まれた復興支援ハウス(2度目のご奉公です)


写真上左:復興支援ハウスを搬送設置するために、100万円のご寄付をしてくださった三浦さんご夫妻です。本当に有難いことですね。
写真上右:トラックを運転するために大阪から駆けつけて下さった酒井さん。

東日本大震災