太平洋横断の記録

手作りヨットによる単独太平洋横断の記録

「シンシア3世号」は、ヨットではありません。
実は「太平洋を漕いで渡ろうとした手漕ぎボート」なんです。
普通のヨットなら60~80日で太平洋を横断することができますが、147日間も掛かりました。

当時、「漕いで渡るでは出航許可がでない」とわかり、ヨットとして宇部港を出港し八丈島で朝日新聞社の記者さんと帆が使えないように封印しました。それから後は櫓(ろ)を漕いで、太平洋を横断する計画でした。

しかし、八丈島を出港して10日後、嵐のため、ボートは転覆・・・・。
引き返そうと一度、帆をはりました。その後、再び、帆を封印しましたが、記録は途切れてしまい、「漂着した」という表現で航海の説明をしています。

当時、新聞では「自設計自作のヨットによる単独太平洋横断は初めて」という記録で話題となりました。

昭和49年 、 国立宇部高専卒業 後、資金稼ぎのため、東シナ海で操業する漁船や内航の油タンカーに約2年間乗船し、航海士の資格を取得後、ヨットを自作しました。

昭和52年5月17日山口県宇部港を出港、147日目の10月9日アメリカのサンフランシスコ港に入港した。

航海距離約10000㎞。シンシア3世号:自設計自作、全長6m、幅2m、9㎜ベニヤ合板製

(シンシアという名前は、歌手「南沙織」さんのクリスチャンネームから命名しました)

(上写真左)八丈島東方海上にて(朝日新聞社撮影)
(上写真右)シンシア 3 世号の船内(食事中の岡村)

(上写真左)航海航路図(朝日新聞)6.21転覆 7.28日付変更線通過
(上写真右)日付変更線通過の記念写真

20キロ程度のマグロが釣れました

(上写真左)太平洋の時化は凄い
(上写真右)転覆直後に助けて下さった第8雄島丸

シンシア 3 世号は現在、岡村精二事務所に展示されています。

冒険を支えてくれた言葉

森村桂さんの言葉

「夢を夢のままにせず、その実現に向かって努力することが生きることだ」
(森村桂)

両親からの手紙

「がんばれ!母」「生きて帰れ!父」
父とは太平洋横断を決心した 16 歳の頃から、ほとんど会話をしなくなりました。
宇部港を出航して、母が作ってくれた 3 段重ねの弁当を開くと、「がんばれ!母」と書かれた小さなメモ用紙が入っており、見た瞬間、涙があふれてきました。
そして 2 段目の弁当を開くと、そこには「生きて帰れ!父」と書かれたメモが入っており、声を出して泣きました。
2枚の紙は大切に保存しています。今では我が家の大切な家宝です。

気づき

  1. 「親子の絆」
  2. 「場面があれば、頑張れる」
  3. 「生かされている」ということへの実感
  4. 夢を実現するために必要なことは、第一歩を踏み出す小さな勇気
  5. 自分の中には、自分の知らない、素晴らしい可能性をひめた自分がいる。
  6. 幸せとは何となく楽しい、うれしい、心の底から湧き上がる「有難さ」と感じるとき。
    (横断に成功したことより、一緒に喜んでくれた人がたくさんいたことが幸せだった)

夢を実現するために

(1) 目標を明確にする。 (2) 期日を設定する。 (3) 文章にする。(イメージ作り)
(4) 人に語る。 (5)実行。(できることから始める)

出会い

「森村桂」さんのこと
18歳の頃、太平洋単独横断を実行に移す決断ができず、毎日葛藤していたとき、偶然「天国に一番近い島」という森村桂さんの書かれた本に出会いました。幼い頃、お父様から聞かされた「南のほうに土人が暮らしている天国に一番近い素晴らしい島がある」という言葉を信じ、貨物船に乗り、ニューカレドニアに行く話でした。当時、ベストセラーになった本です。読んだ後、こんな素晴らしい人がいるんだと、森村さんの生き方に感動して、お手紙を書きました。そして、森村さんの本の中にあった「夢を夢のままにせず、その実現に向かって努力することが生きることだ」という言葉が、太平洋横断を実行するための大儀となりました。
「自分自身を納得させる大儀」が私には必要でした。
サンフランシスコ港に着いた後、まったく面識のない森村さんに、図々しくも「着払い」で国際電話を掛けてしまいました。 3 分間 5000 円もした時代です。以来、お友達としてお付き合いして頂きましたが、病気で亡くなられて、残念です。
「夢・誠意・ファイト」と書かれた森村さんから頂いた色紙は、今も大切にしています。
ぜひ、人生に悩んでいる方に、読んで頂きたい本です。

「みつはしちかこ」さんのこと

私のヨットの帆には、イカダに乗ったビキニ姿のチッチの絵が描かれています。
太平洋横断中に、私自身がマジックで描きました。
出航直前に、同級生の女性から頂いた「小さな恋のものがたり」を航海中に読んで、主人公のチッチが大好きになりました。
帰国後、ヨットの写真に写っていたチッチを見て、みつはしさんからのお誘いで、雑誌の取材を頂き、初めてお会いしました。
以来、ご自宅にも、お伺いさせて頂くようになりました。
みつはしさんの優しい心がそのまま、絵になったのだと、初対面のときに感じさせて頂きました。