宮城県石巻市と女川町で活躍するボランティアの支援に行ってきました。

Updata 2011年 5月8日

2011年4月25日から30日まで、
東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市と女川町に行ってきました。

石巻市へは、北陸道で新潟・磐梯・郡山・仙台経由で片道15時間掛かりました。それにしても、片道1300キロは遠いですね。燃料代は往復5万円。高速料金は往復5万円(災害支援の場合は無料、市役所で手続きできます)です。

目的は民間のボラティア団体(NPO法人「オン・ザ・ロード」のお手伝いと、3月24日、石巻市に支援ハウスを運んだ4トントラックを山口県に持って帰ることが目的です。
1ヶ月間、瓦礫の撤去に大活躍したそうです。支援ハウスは石巻市社会福祉協議会ボランティアセンターで活躍していました。テントに泊まっているボランティアの救護用です。

現在、現地でほしいものは、物品より人手ですね。家財道具、土砂の除去、これは人海戦術以外にありません。
支援物資は行き届いていないところも、多少あるようですが、まずまずだと感じました。
情報が錯綜していますが、現地はまずまずの状況。報道やコメンテーターの意見は、あまり当てにできませんね。

社会福祉協議会のボランティアセンターより、民間のNPO法人のほうが、動きが軽快で対応もスムーズでした。
私が関わっている『NPO法人オンザロード』もその一つです。みんなテント持参で頑張っています。

左:宮城県女川市の津波被害(町そのものが消失した)。
中:横倒しになった建物の基礎は、なぜか建物の真下です。
津波で押し戻された?
右:地盤沈下により浸水した工場の敷地(石巻市内)

左:宮城県女川市の津波被害(4階の屋上に自動車が乗っている)
中:瓦礫の撤去に活躍するボランティア
右:石巻市湊小学校で行われた入学式


宮城県石巻市社会福祉協議会災害ボランティアセンターに設置された
災害用支援ハウスの試作品(石巻専修大学構内)

ボランティアの救護施設として使用されていました。
(たびたび、テレビに映っています)


左:宇部市に疎開した女の子が、福島県で働いているお父さんのために描いた絵
右:大崎市の温泉施設に移動した災害ボランティア団体(NPO法人「オン・ザ・ロード」)の
救護所として
使用するため移動された支援ハウス

左:大崎市の温泉施設に設置された支援ハウス。
後方はボランティアのテント村
右:女川市立第一女川小学校のグランドに設置された

災害ボランティアの活動

みんな最高の笑顔です。
「人様のお役に立っている」「喜んで頂く喜び」を知った若者たちの笑顔ですね。

左:大活躍していた4㌧ユニック
中:外国人と一緒に活動するボランティア
右:朝8時、弁当を手にテント村を出発するボランティア


左・中:他団体が残していった仮設の風呂を管理する若者たち
右:「何かやらせてください」と書かれたジャケットの背中

左:必要なのは手数。(ぜひ、ご参加ください)

中:1日の作業が終わり、夕食を採るボランティア
右:夜のスタッフ、ボランティアの「ミーティング」

左:とびっきり素敵な笑顔に会えました。
右:今時の若者たちは素晴らしいです。
女川市立第一女川小学校での「炊き出し」

朝8時から夜6時まで、要望のある家を回っての片づけ作業を行うボランティア

左:ハイエースのロングワゴン、6名で行ってきました。
(田辺満彦、三好彰、西本光則、緒方誠、清水義政、岡村精二)
右:休暇を取って参加した緒方さん(グレーのジャケット)は、朝8時から夜8時まで、瓦礫の撤去作業のボランティアに参加、感動した様子でした。