復興支援と平和を願って、子どもたちが「支援ハウス」に絵を描きました。
9月 23日, 2011 by okamura
シンガポールで開催される「JECアジア2011」国際見本市に展示される「支援ハウス」に災害支援と平和を祈って、壁面に絵を描きました。
子どもたちが下書きしたデザインを基に、1時間掛けて描きました。
子どもの絵はいいですね。
大人では描けない「心の美しさ」を感じます。
空いた空間には、シンガポールの会場で、来場者に、復興支援の応援メッセージを書いてもらう予定です。




支援ハウスは、月末、コンテナに入れて、大阪から船で運ばれる予定でしたが、航空貨物に変更されました。
シンガポールについてからのトレーラーによる輸送を考えると、飛行機のほうが安くなるそうです。
意外でした。
月末に組立て前の状態にして、積み込まれます。
価格は容積で決まるそうです。
私の愛車「デリカ」です。平成5年式、「てんぷら油」で走っています。
9月 22日, 2011 by okamura
我が家に、3代目の三菱「デリカ・スターワゴン」が来て、ちょうど4年が過ぎました。
平成19年、ヤフーオークションで見つけた平成5年式の中古で、20万円で購入しました。
車検は1年以上ついていた、「スーパーエクシード・クラス」の最上級車でフル装備です。
しかも、この4年間、故障無。お買い得でしたね。

平成20年、環境への配慮として、陸運局で「廃食用油燃料併用」の認可を申請して、いわゆる「てんぷら油」で走っています。
県内で民間車両の乗用車で認可をとっているのは、私だけだそうです。
理由は簡単、バイオディーゼルは平成7.8年より新しい自動車に使うとエンジンが故障するとのことです。
排ガス規制がない時代の自動車だから、使えるのだそうです。
燃費は軽油とほぼ同じですが、排ガスは黒煙ではなく、白煙が出ます。
臭いはそれこそ「てんぷら」です。
廃油のバイオディーゼルは、近所の宇部衛生工業社から購入し、ドラム缶で保管しています。
デリカの大好きな所は、まず外観です。
装甲車並みの外観、ステンレスの大きなバンパー。
4輪駆動、前後の車軸が狭いので、小回り抜群。18年目ですが、錆びはほとんどありません。
内部はもっと凄い、なにしろ、冷蔵庫がついています。
しかも、製氷機付です。(写真の小さなタンクに水を入れると、約30分で氷ができます)
初めは気付かなかったスイッチにHOT,COOL,ICEと書いてあるのを見て、
調べてびっくり。製氷ボックスがついていました。
天井の大きな天窓も開閉式。
あと、最低4年間は乗るつもりです。キャンプや阿蘇などへの遠出には、最高に車ですね。
座席をはずしてベッドを取り付けることもできます。
議会に行くときは、いつもデリカです。
地下の議員用駐車場には高さの関係で入らないので、いつも議会棟玄関横のピロティーに置かせて頂いています。
通算3台目のマニアですから、手放されません。
「山口県監査委員」に就任して4ヶ月。いい勉強をさせて頂いています。
9月 22日, 2011 by okamura
山口県監査委員は4名です。
そのうち2名は議員から選出され、今期(2年間)は自民党の塩満久雄議員さんと私です。
今までは、最大会派の自民党会派から1名、その他の会派から1名という構成でしたが、
自民会派が2つに分裂したことから、自民党新生会の私が選出されました。
自民党では5.6期のベテラン議員さんから選出されますから、有り難い役割を頂きました。
毎月3回程度、9箇所、県庁内や出先機関の監査を行います。
事前に予備監査を、監査委員会の職員の皆さんがされていますので、少しは気が楽ですが、
監査前には、かならず、一通り監査資料に目を通して、理解して置かなければ質問ができません。
時間的には約1時間から1時間30分。
昨日は河川課など県庁内3課の監査を行いました。


私は「しゃべりすぎるタイプ」ですから、3箇所約4時間は結構たいへんですね。
しかし、議員とはいえ、普段、まったくお付き合いのない出先機関や部署での監査は、
山口県の行政について勉強するには、最高のポジションですね。
2年間で約200箇所、任期を大切にしたいと思います。
土木建築委員会で、昨年7月の豪雨災害被災地を重点的に視察しました。9.12-13
9月 15日, 2011 by okamura
土木建築委員会で、昨年7月の豪雨災害被災地を重点的に視察しました。
主な視察場所は
JR美祢線復旧関連緊急対策事業、西部利水事務所、木屋川ダム、木屋川河川改修
一般国道191号線下関北バイパス、厚狭川河川激甚災害対策特別緊急事業
一般国道490号線交通安全施設整備、宇部港東見初地区港湾整備事業
今年は、3月11の東日本大震災による津波、そして、台風12号による紀伊半島一帯の豪雨による土砂災害。
山口県でも一昨年と昨年、2年続きの豪雨災害で、県内各地で大きな被害を受けました。
間違いなく、異常気象ですね。
災害予測については、今までの常識が通用しなくなってきました。

昨年は災害発生後、県議会では臨時会を開催し、被害状況の正確な状況報告を受け、補正予算を可決しました。
土木建築部では、懸命な災害復旧に取り組み、普通となっていたJR美祢線も月末には営業運転を再開します。
また、厚狭川流域の護岸修復工事も順調に進んでいます。
8月議会で質問しましたが、災害対策にも「選択と集中」という視点が必要です。
限られた予算をどこに、どう使うのか。
山口県という地域性を考えると、地震よりも、台風、豪雨です。
耐震化よりも、河川改修、豪雨、高潮対策を重点的にと思います。


木屋川河川改修工事の説明図に「霞堤」があります。
昨年の豪雨で浸水した菊川地区の地図で、赤丸のところが「霞堤」です。
かつては豪雨のときに集落・住宅を守るために、堤防の一部を低くし、そこから田に水を広く浅く満たして、豪雨が終われば、自然排水させる目的があったようです。
しかし、現在ではその存在を知らないまま、土地を購入し、住宅団地ができており、浸水被害を受けた住宅も多いようです。
言い換えれば、昔から住居があるところは、安全な場所ということかもしれません。
霞堤:堤防のある区間に開口部を設け、上流側の堤防と下流側の堤防が、二重になるようにした不連続な堤防のことです。洪水時には開口部から水が逆流して堤内池に湛水し、下流に流れる洪水の流量を減少さます。
洪水が終わると、堤内地に湛水した水を排水します。
急流河川の治水方策としては、非常に合理的な機能と言われています。
霞堤の歴史は古く、戦国時代の武田信玄が考案したと言われています。 霞堤の名前の由来は、堤防が折れ重なり、霞がたなびくように見える様子からこう呼ばれています。
一般国道191号線下関北バイパスの工事現場です。
「猪瀬直樹」さんがブログに「支援ハウス」のことが書いてくださいました。他にも、、、。
9月 11日, 2011 by okamura
東京都副知事の猪瀬直樹さんがご自身のブログで、私の支援ハウスを紹介して下さいました。
7月15日の都庁での見学会には、石原都知事と一緒に見学に来られました。
綿パンに綿シャツ姿のまったく飾らない姿に、個人にもファンになりました。
いずれ、講演会を開いてお招きできればと思います。
2011年7月15日 (金)
こういう仮設住宅が震災直後に届けられていたらなあ。


(写真右) 石原知事の左側にいるのが、開発した山口県議で工学博士の岡村精二さん。
避難所で暮らす東日本大震災の被災者のための「住宅復興支援ハウス」が東京都庁で展示されたので、石原知事とともに入ってみた。
大人4人で1時間で組み立てられる。重機は不要。250万円ぐらい。試作品なので1棟のみ。

(写真左)床面積7㎡ちょっと。船のキャビンのようにコンパクトにできている。冷房もシャワーもトイレもある。
〈写真右)安倍晋三元総理もきた(開発した岡村さんは山口県の人だものね)。

(写真左)二段ベッドも
NPO法人「ON THE ROAD」 東日本災害支援PROJECTのHPでの紹介
(NPO法人「ON THE ROAD」での掲載2011.5.24)
住宅復興支援ハウス
2011/05/24
凄い優れものなので、紹介を。
阪神大震災の際、避難所生活での被災者のストレスや、
仮設住宅の建設まで時間が掛かっていたことから、
岡村精二さんが、簡単で素早く用意できるハウスを開発し、
新潟県中越地震でもボランティアの拠点として使用しました。
オンザロードのスタッフてつやとひろしが、石巻に搬送してきて、
現在ボランティアの救護室として使っています。
■山口県議会議員の岡村精二さんのHP
支援ハウス搬送までの経緯などの詳細があります。
http://okamura21.com/topics/saigai-shel-hansou.html
復興支援ハウスは、トラックやヘリで運べて、
重機や専門家でなくとも、大人4人で1時間で組み立てれます。
基礎工事も不要で、備え付けのジャッキで傾斜地にも建てれます。
設備としては、4人分のベッド、トイレ、シャワー、キッチン冷蔵庫
太陽電気でバッテリーに充電して、換気扇も動きます。
僕らの(新)保健室「住宅復興支援ハウス SMILEE」
(NPO法人「ON THE ROAD」での掲載2011.8.8)
2011/08/08
今日もセミの大合唱が聴こえてくる大崎市のボランティアヴィレッジからこんにちわ。
今日は僕らの「保健室」として絶大なる安心感を寄せることができている優れものを紹介させていただきます。
その名は、「住宅復興支援ハウス」
あれ?それってずいぶん前にブログで紹介されて無かったっけ?そう思い当たる節がある人は、かなりのオンザロードマニアです。素晴らしい!!
そうなんです、第一期の時からヴィレッジにはこの「住宅復興支援ハウス」が設置されていました。過去にもブログで紹介させていただいたんですが、
過去の記事はこちら → http://bit.ly/q8EI4T
さらに!!「クイックキャビン SMILEE」と名付けられた前回よりも改良されたバージョンがオンザロードのヴィレッジにお目見えしました。
山口県議会議員でもある開発者の岡村精二さんが今回もぜひオンザロードで使ってください。ということで、設置させていただきました。内部にあったトイレが外付け化され、居住スペースの中に入ってくるニオイを完全にカット!(写真右、現在は倉庫として使用)
ベッドの手前に出来たリビングスペース。イスが楽々2つ入るこのスペースは4人分のベッド、トイレ、シャワー、キッチン、テーブル、冷蔵庫などを備えた上で憩いの場も創出。
もちろんエアコンも完備!!
詳しい改良点や優れものっぷりは、岡村先生のHPをぜひご覧くださいね。
【山口県議会議員 岡村精二オフィシャルホームページ】
びっくりするのは、実はヴィレッジにやってくる前、なんと東京都庁で展示されていたんです!
東京都庁での展示の様子はこちらから → http://okamura21.com/blog/tokyo.html
石原都知事や、安倍元首相もこのハウスを見学され、関心が高まっているこの住宅復興支援ハウス。
オンザロードでは、猛暑や急激な気温の変化で体調を崩したメンバーが体を休めるための保健室として代活躍中です。急な集中豪雨などでテントが浸水した場合に駆け込める場所としてもしっかり活用させていただいています。
隅々まで被災者さんたちに早く自立へ向けての第一歩である安心できる住空間を提供したい。という熱い想いが詰まっています。
※イメージ図
現在、世界に新旧合わせても3つしかないこの住宅復興支援ハウス。お陰さまでいざ体調を崩したときにも、安心して休養を取ることができています。
出番が来ないことが一番いいことなんですが、この安心感を知ってしまった僕達は、今後の自然災害の際のために、もっともっと関心が高まって活用されていく場が増えて欲しいと僕達も思っています。
心を込めて日々のボランティア活動に勤しむことが、岡村先生をはじめ関係各所のみなさまのご好意に答えることだと思って、これからもしっかり!現場で汗を流そうと思います。こころから感謝!
もし直接ご覧になりたい方がいましたら、NPOオンザロードのヴィレッジまでお問い合わせくださいね。
平成23年8月議会が終わりました。(土木建築委員会での質問)9.9
9月 11日, 2011 by okamura
9月9日(金)8月議会の最終日、議案採決、意見書案の採択など行い、午後2時15分閉会しました。
山口国体の水泳競技が8日から始まり、いよいよ山口県は国体一色の気配ですね。
それにしても、昨日、鉢呂経済産業大臣の「死の町」発言はいけませんね。
国会という別世界にいると、感覚麻痺して市民感情とは懸け離れてしまうのでしょうか。
私も議員として、発言には気をつけなければいけません。
さて、土木建築委員会では次の質問を行いました。
1.厚狭川河川の排水機場の排水機器の請負契約における主ポンプ設備の予定価格について
ポンプの径は2,200mm、排水能力は13.00㎥/s を 2基据え付ける工事ですが、予定価格は何と12億円です。
入札結果は5億7000万円です。低価格入札も気になりますが、ポンプの予定価格が気になります。
なぜ、1基が6億円もするのでしょうか。
回答:既製品はなく、すべて一基ずつの受注生産が原因だそうです。注文から完成まで2年掛かるそうです。
同じく三田尻中関港排水機場の排水機器のポンプも2基で予定価格11億円です。
もう少し安くならないものでしょうか?
2.山口宇部空港の空港用大型化学消防車1台の購入価格について
いくら特殊車両とはいえ、これも1台、2億3625万円。
入札結果の価格です。高いですね。
全長12mの大型特殊車両ですが、入札結果だそうです。
3.一般質問に絡んで、防災対策の選択と集中について
限られた予算なら、地域性を考慮して耐震化工事よりも、河川改修、高潮対策、土砂災害対策に力を注ぐべきではないか。
来年度予算に向けて、災害対策費の拡充を要望した。
土木建築委員会は8名で後世。
委員長は「民主連合の会」の秋野哲範議員です。
委員は吉井利行議員、合志栄一議員、塩満久雄議員、秋野哲範議員、二木健治議員、星出拓也議員、伊原寿加子議員と私です。
シンガポールでの国際見本市出展のことが新聞に掲載されました。
9月 10日, 2011 by okamura
宇部日報社の岩村記者さんの取材を受け、掲載された記事にびっくり、1面にカラーで大きく載せていただきました。
有り難いですね。
支援ハウスは7月15日の展示会のあと、事務所の玄関横に置いていました。
いずれ折を見て整備をする予定にしていましたが、シンガポール行きが決まり、整備を始めました。
塗装は近所の松尾塗装店にお願いしました。
ジャッキを新品に取替え、内部のカーペットも取り替えると、新品のようになりました。
とても6年前につくり、新潟や宮城で使用したとは思えないほどきれいです。
さすがFRP(強化プラスチック)製ですね。
水洗いをして、パテで傷ついたところを補修すれば、再生できます。
私の予測どおりの仕上がりで、再利用できることを実証しました。
ロゴマークは松本光正さんの作品です。
正式名を『復興支援ハウス「クイック・キャビン・スマイリー」』とすることにしました。
シンガポールに持って行くために、整備の楽な玄関のそばに置いたわけではありませんが、やはり天の采配なのでしょうね。
9月26日、大阪港でコンテナに積み込み、10月1日に出航するそうです。
下関商工会議所青年部(120名:春帆楼にて)で講演をさせて頂きました。
9月 10日, 2011 by okamura
下関商工会議所青年部と旧町の商工会議所青年部の皆さん120名の前で「可能性への挑戦」というテーマで講演を行いました。
夜7時40分から70分間の講演でしたが、仕事でお疲れにも関わらず、真剣に聞いてくださり、楽しく話させて頂きました。
聞き手いいと、話す側も気持ちいいですね。
「経営者向けの話」という依頼でしたが、20代から40代前半の方々でしたので、体験を踏まえて、子育ての話を半分させて頂きました。
「携帯電話とゲーム機器が忙しくて、テレビを見る暇のまい子どもたち。学力が下がり続ける日本の子どもたち」
「今時の子どもたちは凄い。場面があれば頑張れる。役割が立派さを育てる」
「親父の手紙。手紙が絆を育む」
「ヒーローは一瞬。陽の当たらないときにこそ、爽やかに生きる。石の上にも3年」
「山口県が未来に果たす役割。先陣を切る使命感」
などなど。。。。。
最後に、キャンプに参加した子どもたちが手紙を読んで涙している映像を見て頂きました。講演後、懇親会にも出席させて頂きましたが、若いエネルギーは日本の宝です。
楽しい時間を過ごしました。

2011.9.8復興支援ハウス「国際見本市に出品」
9月 8日, 2011 by okamura
我が家の「ツバメ物語」 2001年~2011年
9月 6日, 2011 by okamura
平成23年8月定例議会の一般質問の前段で話した「我が家のツバメ物語」に出てくる
国旗用ポールについている「金の玉」の上のツバメの巣が話題になっています。
(8月議会一般質問の前段での文章です)
『私の事務所の玄関には、国旗を掲げるためのポールが取り付けてあります。その先端に「金色の玉」が付いていますが、5年前の4月、その「金の玉」の上に、ツバメが、突然、巣づくりを始めました。

プラスチック製のポールはツバメがとまるたびに、大きくたわみ、ツバメが飛び立ったあとも揺れが止まらないので、木と針金を使って補強しました。
つがいのツバメが飛び交い、数日で、すり鉢状の立派な巣を作り上げました。産卵を終え、2羽のツバメが交代で卵を温めている姿は微笑ましいものでした。
ところが、ちょっとしたスキに、カラスに襲われ、立派なすり鉢状の巣は無残にも壊され、土間には割れた卵が2個落ちていました。
近くの電線の上で、壊れた巣をじっと見つめるツバメがかわいそうになり、「金の玉」の上に、お椀をボンドで固定し、壊れた巣の土を載せてみたところ、2日後、そのお椀の上に巣づくりを始めました。
再び産卵し、交代で卵を温めていましたが、再び、カラスに襲われてしまいました。
巣の周りを恨めしそうに飛び交うツバメを見てくやしさが、こみ上げてきました。
今度は絶対に壊されないように、大きな丼をお椀の上に乗せてみました。すると数日後、ツバメは再び、その丼の上に巣づくりを始めたのです。
決してあきらめないツバメの夫婦に感動しました。しかし、その年は、再び産卵することはありませんでした。
その後も、毎年のようにツバメが巣作りをし、やっと雛が生まれた頃になると、カラスや蛇に襲われ、巣立ちを迎えることできませんでした。
そして、昨年はついに、1羽のツバメも戻ることなく、夏を迎え、ついに我が家での巣づくりをあきらめたものと思っていました。
ところが、今年6月、再びツバメが戻って、丼の上に巣づくりを始め、5羽の雛が誕生しました。



順調に生育し「今度こそ」と、事務所を挙げて応援していましたが、7月10日、事務所の職員が巣の上に蛇を見つけました。胴体に3箇所、大きなくびれがあるのを見て、3羽食べられたと直感したそうです。
それにもめげず、残った2羽の巣立ちのために、必死にエサを運び続けるツバメの姿に感動しました。
7月15日、ついに2羽の雛が旅立って行きました。
6年越しの初めての巣立ちに、ツバメから大きな感動と勇気を頂きました。
「七転び八起き」といいますが、日本人の歴史そのものなのかもしれません。
東日本の復興を願わずにはおれません。
微力ながら今後も出来る限りの支援をして参りたいと思っています。』
岡村家の「ツバメ物語①」2007.4
平成18年5月の「宇部野鳥の会」リレートークより
『ツバメは揺れる「金玉」いや「金の玉」がお好き!?』
我が家の玄関には、壁から斜めに取り付けられた国旗を掲げるためのポールがあります。
4月中旬、そのポールの先にある「金玉」いや「金の玉」の上に、ツバメが何と、巣を造り始めました。
当初は「金の玉」の上に、2羽のツバメが止まっていただけでしたが、泥を置き始め、まさかと思って眺めていると、みるみる間に、丸い巣が出来き始めました。
しかし、場所はプラスチック製の細いパイプの上、ツバメが止まるだけで、ポールはゆらゆらと大きく揺れ、巣が出来上がるに連れて、大きくたわみ始めました。
ツバメは揺れる「金玉」いや「金の玉」がお好きなようです。
心配になりパイプを竹で補強して、針金で動きを固定してやり、5月上旬、ついに高さ12センチのすり鉢状の巣が見事に完成しました。
ツバメは壁に半円形の巣を造るものだと思っていましたが、我が家のツバメの巣は円形、しかも小さな金の玉の上、うれしくて椅子に座り、ツバメの夫婦が仲良く飛び交う姿を眺め「夫婦相和しとはこのことだ」と幸せな気持ちになっていました。
ところが、宇部日報に「第二原の頑張りツバメ」という記事を掲載して頂いた翌日、巣は無残にも落ち、ポールの下には壊れた巣の破片と卵が3個割れていました。
無念そうに飛び交う2羽のツバメを見ていると、悔しさが込み上げてきました。
原因を考えながら、周りを見渡してみると、近くの電柱に大きなカラスが一羽、憎たらしい顔をして見下ろしていたのを見て、犯人はこいつに違いないと直感しました。
何とかしなければと思い、以前、落ちて砕けた巣をテープで造った丸い枠の中に入れたら、再び巣を作り始めたことを思い出したので、金の玉の上に「お椀」を接着剤で固定し、落ちた巣の破片を載せてみました。
すると2羽のツバメは、再びそのお椀の中に巣作りを 始めました。完成した巣の中を覗いてみると、卵が1個生まれていました。
最近、暇さえあれば、側にイスを置いて、ツバメ夫婦の飛び交う姿を眺めていると、なぜか幸せな気持ちになります。
『幸せとは何となく楽しい。うれしい。ありがたいという心から湧き上がってくる感謝の思いだ』と思います。
物やお金ではなく、心の問題ですね。
岡村家の「ツバメ物語②」2007.5
「悲しい結末」
リレートークの原稿を書いた一週間後、再び、例のカラスの仕業か、巣の一部が壊されてしまいました。3日くらい、巣の周りを飛び交っていましたが、ついにツバメは戻らなくなってしまいました。
さて、今年の春はどうかなあと、楽しみにしていました。
3月から4月にかけては、統一地方選挙、自分自身の選挙や、友人たちの市議会議員選挙で忙しく、ツバメどころではなくなっていました。
ところがある日、ふとポールの先にあるツバメの巣を見上げると、一箇所に新しい湿った泥がついているのを発見しました。
しばらく物陰から観察していると、2羽にツバメが、せっせと巣作りを始めていました。
うれしくて、一時間も眺めていました。しかし、またもや、壁際の一部が壊れてしまいました。
それにもめげず、壊れた箇所を補修し、力を合わせて巣作りに励んでいる姿に感動しました。
見ているだけで幸せな気持ちになれました。
昨年、お椀の上に完成した巣より4センチくらい嵩上げした巣が完成し、草の葉を巣の底に敷き始め、いよいよ産卵の時期を迎えたようでした。
ところが、私の不注意から、とんでもない事件が起こってしまいました。
玄関のドアを開けたままにしていたのが、失敗でした。
いつの間にか、2羽とも家の中に入り、吹き抜けの玄関ホールから2階の塾の教室に入ったようです。羽の音に気づけば良かったのですが、何も知らないまま、深夜、鍵を掛けて、帰宅してしまいました。
翌朝、ぐったりとして、玄関ホールのフロアーに、横たわった一匹のツバメを見つけ、ショックを受けました。
回りを見渡してみると、ツガイのもう一匹が窓際にとまり、高いところから心配そうに見つめていました。すべての窓を開け、まず、その一匹を室内から逃がしてやり、弱った一匹を介抱しましたが、すでに瀕死の状態で、1時間くらいして死んでしまいました。
残った一匹が巣に止まって、帰ってくるはずと信じている伴侶を待っているようでしたが、3日後、ついに姿を消してしまいました。
主を失ったツバメの巣を眺め、昨日、壊れかけていた巣の一部をテープで補強修理しました。
来春こそ、この巣から新しい命が巣立ってくれればと願っています。
岡村家の『ツバメ物語④』2008.5
2008年5月1日
今年もツバメが帰ってきました。
我が家の玄関に、今年もツバメが帰ってきました。
今年は、例年に比べ、遅かったので心配していました。
国旗のポールの上に、巣を作って3年目、毎年、あと少しのところで、カラスに襲われたりして、巣がこわれていました。
特に昨年は、事務所の中に一匹が入ってしまい、それに気づかず死なせてしまい、結局、卵を産んだ後、もう1匹もいなくなってしまいました。
今年こそは、立派に巣立ちしてほしいものですね。
5月新たな気持ち、さわやかな生き方をしたいものです。
2008年5月6日
ツバメが本格的に巣作りを始めました。
事務所の玄関先にツバメが巣を作るようになって、10年くらいになります。
猫やカラスなどに襲われたり、毎年、ツバメにとっては苦難に連続。
今年こそは、しっかり見守って上げたいですね。
椅子に座って、眺めているだけで、心が癒されます。
(癒されるほど、傷ついてはいませんが、有難いですね)
2008年5月24日
再建した巣にツバメが再び戻ってきました。
5月18日、ツバメの巣が、また壊れてしましました。
鳥か猫か、はたまたツバメ自身が壊してしまったのか。
巣全体が大きく斜めになっていました。
そのため、朝からツバメが、困ったという雰囲気で、巣の周りを飛び交っていました。
もともとお椀が小さく、仮に卵が孵っても、雛が落ちる可能性もありました。
思い切って、巣を外して、新たにラーメン用の大きなお椀に置き換え、中にもともとあった巣を入れてみました。
白のお椀には可愛い絵が描かれていますが、鳥には色の識別はできないとのこと。
(喜多方ラーメンの器です)
巣の中は、ゆったりとしたスペースができましたが、ツバメが気に入って戻ってくれればいいのですが、、、。
5月24日、ついにツバメが返ってきました。
今日は朝から雨が降っていました。
午後4時、コンピューターの点検に来てくれた友人を事務所の玄関の外で見送ろうとして、ツバメ巣を見上げると、ついにツバメが戻ってきていました。
妻は2.3日前から、来ていたというのですが、私が確認したのは初めてです。
まだ、1羽だけですが、きっと明日には、メスを連れてくる可能性もあります。
夜になっても、逃げる気配がありません。
今度こそは、大切に見守りたいですね。
また、楽しみができました。
岡村家の『ツバメ物語④』2009.5
2009年5月6日
今年もツバメの巣作りが始まりました。
事務所の玄関にある日の丸のホールに、今年もツバメが帰ってきました。
昨年は、つがいの一匹が知らない間に玄関から事務所に入ってしまい、窓ガラスに衝突して死んでしまいました。
結局、卵を産んだまま、もう一匹もいいなくなってしまい、雛をみることができませんでした。
今年は事務所を挙げて応援したいですね。
詳しくはツバメ物語をご覧下さい。
絵本にしたくなるような題材です。
お椀は派手な赤ですが、ツバメには色がわからないそうです。
2009年5月8日
ツバメがいよいよ産卵しそうです。
巣の中には、干し草が敷かれ、産卵を迎えそうです。
30分位ガラス越しに、カメラを構えてツベメが戻って来るのを待っていました。
今年こそ、巣立ちまで気を入れて守るつもりです。


こちらの2羽がつがいです。
お椀には干草があふれそうです。
2羽の動きをみていると、メスらしきツバメのほうが、オスより強そうです。
オスを叱り付けているような泣き声は、そんな雰囲気を感じさせます。
ツバメ物語 アーカイブ
岡村家の『ツバメ物語③』2001.5
プロローグ (換気口の上の巣)



私の事務所に、初めて、ツバメが巣を作ったのは10年前、事務所を新築した直後でした。
最初に作った場所は、ステンレス製の丸い換気口の上でした。
すべり易いのではという心配をよそに、巣はきれい仕上がり、ツバメの建築家としての力に感心しました。
しかし、完成した直後に、3年連続何者かに壊されてしましました。
作った場所が雨樋に近く、蛇にやられたとか、猫にやられたとか、いろいろな声を伺いました。
私は巣の下に棚を付けたり努力はし、 4年前、今年こそはと、網で巣を保護したのですが、やはり壊されてしまいました。
今回は巣の状態から、ほとんど産卵寸前。
産卵場所がなくて困っているに違いないと、かわいそうになり、換気口の近くに、棚を設けて、ガムテープで丸い枠を作り、棚の上に置き、その中に換気口から落ちた巣の破片を入れてみました。
すると、午後からそのガムテープの巣に2羽にツバメが巣作りを始めました。
余程、切羽詰まった状態だったのでしょう。
瞬く間に、巣が完成し、産卵。
メスが卵を抱いている間もそばから離れず、オスが外敵から守っているように見えました。
4羽の雛が生まれ、巣立ちまで、毎日、来訪者の目を和ませてくれました。
いつの間にか、巣立ちが終わり、親の姿も見えなくなりました。
翌年、再びツバメが戻ってきました。
今度は5羽に雛が生まれました。
巣はかなり古くなりましたが、まだまだ使えそうです。


ガムテープの巣の次は、金玉いや金の玉でした。
来年はどこに作ってくれるのでしょうか。
しかし、何としても、お椀の巣から、ツバメの雛を巣立ちさせたいですね。
巣を壊されない、何かいい方法はないものでしょうか。


『人間の究極の幸せとは、子どもや孫の幸せを見届けること』だそうですが、最近の青少年に関わる事件などを見ていると、ツバメの夫婦や家族から、人間が学ばなければいけないことが、たくさんありそうです。







































